好きなものに対してのこだわり
[201505] 自叙伝やエッセイ本は普段あまり読まないのですが、先日、金子國義先生の【美貌帖】を読みました。 ◆ 自分の部屋を、自分の好きなもので埋めていく。 一見、普通のことのように思えるけれど、それを先生ほど徹底している人は居ないような気がします。 画家を目指そうとしてなった訳ではなく、自分の部屋を好きな絵で飾る為に絵を描いているうちに、芸術家になっていった、という方が正しいよう。
先生は友人を選ぶときも、性格は二の次で、まず顔が綺麗な子を選ぶそうで、それもまた、自分をずっと鏡で見ている訳にもいかないから美しい友人の顔を眺めて、また美しい顔を見ていれば自分の顔も益々美しくなっていくという考え。 先生のお母様やお姉様も、化粧を落とした顔は身内にすら見せないという徹底ぶり。 先生がそうだからというだけでなく、周りにそういう美意識の高い人ばかりが集まる。 電話をしている間の後ろ姿が美しい女性の話もありました。 ちょっと普通なら気を抜いてしまうような一瞬も、気を抜かない人。 その方は芸妓さんで、子どもの頃から背筋を伸ばすために背中に物差しを入れられていたそうなのですが、それを自ら意識してきちんと自分のものとして身につけてきたことがその人の美しさとなっている、ということ。 つまり意識しないと身につけられないということでもあるんですよね。
また、人に料理を出す時には器からこだわる事。 料理を五感で楽しんで貰うための手間暇は惜しんではいけない、というのも当たり前のようであり、意識しなくてはならないことで、勉強になります。 ◆ 先生は気に入った映画や本を、時間を掛けて何度も見るそうです。 そうして繰り返し繰り返し、気に入ったものを見ることで作品に込められていくものが変わって、それが完成されていく。 本の帯にある一文、『芸術は遊びの精神からでてくるものだと今でも信じて止まない。』遊んでいるうちにそれが自分の勉強となり、自分に返ってくるのだと言えることって、すごく素敵なことですよね。 先生は様々な人との交友関係の中で作品が変わって、それにつれてまた交友関係を変化させているので、この一冊の本の中でも本当に何人もの著名人が出てくるのですが、きっと先生の周りには、同じような空気を持った人が集まるのだろうな…と思います。
先生は最後に『明日はないと思って今日を大切に生きる』と綴っているのですが、きっと明日に対する不安なんていうものは本当は必要がないんだなと気持ちが楽になりましたし、それと同時に私ももっときちんとしないといけないな、と思いました。 自分なりの美意識やこだわりをしっかり持つだけではなく、美に対するフェティシズムをもっと身につけたいなと思わせてくれる、自分の価値観に少し色をつけてくれるような一冊でした。 先生が大好きだと本文でも語っているHYDEのevergreenを聞きながら、この本を大切に読もうと思います。 好きな音楽と好きな本に囲まれる人生を過ごせるように、もっと見聞を広めていきたいです。(Y)
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