5.家、ふるさと、生きるってこと

・いわきへ・・・

電話やメールが入ってきた。

老人ホームへ勤めているMちゃんは「いつまでそっちにいるの。あたしはズーッと泊まり込みで働いているよ。戻ってきてよ」。

彼女はもう30年も妻が営っている喫茶店の常連だ。

誰もいないような町で、話し相手もいなくなり、さみしさで一杯だという。

Yちゃんも「早く戻んないと、津波の浸水で家がボロボロになるよ。片づけも始まってるよ」と言ってきた。

東京生活も長くなり、息子の生活、仕事にも迷惑をかけているかもしれない。

子どもの所へ避難しても、慣れない生活や、生活リズムの違いなどで居づらくなっている人が沢山いるという。

不安、心配はあるけども、かといって家も心配だ。

いつまでもは居れない。

「帰るか…」。妻と話した。

⑤(自宅崩壊)_R

・人が消えてる、ガソリンがない…

3月27日、いわきの長男宅へ戻る。

我が家は津波浸水で寝泊まりできない。

妻や子供たちがいない長男宅は、静かだった。

市職員の彼は帰宅が朝方になっていた。

昨夜は明け方3時ごろ帰宅し、8時前には出勤した。

皆そういう生活だという。

そのうえ、市民からはめちゃくちゃ怒鳴られる毎日だという。

皆な疲れてんだ…。

諦め半分、悔しさ半分、苛立ち半分、悲しそうに言う彼に言葉が見つからない。

 

自宅へ片づけに戻ろうにも、ガソリンがない。

いわきヘは、給油車が入ってこないという。

運転手の拒否や、石油会社の制限。

ガソリンスタンドは毎日長蛇の列。

4時間、5時間と並んで、やっと10ℓとか。

原発事故があればバスで住民を避難させるというが、果たしてどれほどの運転手の確保ができるのか。

何千人という運転手が必要なのだが。

避難計画の机上の計算が見て取れる。

いわき駅前を通過した。

なんだこれは…。

駅前の通称30㍍通りに車が1台もいないのだ。

人の姿も見えない。

6号国道も、向こう側までがらがらの状態である。

こゝはどこなんだ。

本当に日本なのか。

 

毎日大変な惨状の自宅の片づけに通う。

足の踏み場もない中、ポンポンと物を放り出し、通り道作りから始めた。

津波による異臭、悪臭もひどい。

津波はあらゆるものを流し、運んでくる。

車が入っている家もあるし、汚物も流されてくる。

畳もボロボロ、食器類もめちゃくちゃ。

足の踏み場もない。

ショックなのは、図書室と称していた壁一面にある書棚から多くの本が落下して、浸水の床上にびしょ濡れになっていることだった。

大事な本や、思い入れのある本もある。

本好きな長男と私のおよそ2千冊ほどがあったと思う。

漫画から、マルクスレーニンまで本当に幅広い蔵書であった。

感傷に浸っている暇はない。

濡れ果てた本も、ぽんぽん投げ捨てた。

考えることなどできなかったようだ。

とにかく、今を大事に、片づけを最優先にと考えていた。

4年を迎えようとという今、やっぱり惜しかったと思うこと度々である。

 

そして、これからも大変な出来事が山積みに迫って来る。

約束の連載分だけではとても描ききれない。

しかし描き、後世に記録しなければならない。

それがこの震災・原発事故に遭遇した我々世代の努めなのだ。

という訳で、これからも連載を続ける。

また読んで欲しい。

描き続けることが責務なら、読み続けることも、この世代の皆さんの責務なのだ。

 

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