2.酔っ払いの流儀
・熱い時代の酔客夜の電車と酔客はある種セットのようなものだが、それなりにサラリーマンを続けていれば印象深い酔客との遭遇確率が高くなっていく。 バブリーな昔の時代の酔客といえば、今と違って、大声で歌を歌う者、盛大に殴り合いを演じる者、ホームで大の字になる者等、時代を反映するような突き抜けた大トラが揃っていた。 わざわざ白線の外側、ホームギリギリを千鳥足でタイトロープするじいさんとか、見ず知らずの自分に説教を始め、それがなかなか深イイ話だったり、なんというか一種の芸のようなものを見せられている気分で、若者の頃の自分は東京駅で色々な酔客を観察できて楽しむことができた。 また当時の駅員も、今のようなすぐ酔客に殴られるようなヤワな感じではなく、口も態度も悪いし先の尖った革靴で密かにケリを入れるなど、一筋縄ではいかない面々がいた。 暴れる酔客をお手本のようなキレイな脇固めで取り押さえる駅員など、朝夕とは違う光景を見ることができ、こちらも一芸のある仕事ぶりだったように思う。
芸達者といえば、乗り込むギリギリまでに一杯やってしまう人が、自分にとっての横綱番付かもしれない。 この人、22時過ぎの東海道線ホームによく居て、まず売店でビールを買う。いつもサッポロドラフト350mlだったと思う。 そしてベンチに腰掛け基本ゆっくり飲み始める。 ところが、東京駅発の電車は5分とか中途半端に短い時間しかない。 だいたいの人は飲みながら乗車するが、この人は飲みながらは乗らない。なにかマイルールがあるらしい。 発車ベルに合わせて残りを一気飲みして駆け込み乗車する人もたまにいるが、この人はいつもゆっくり飲み終わってゆっくり乗車している。
待ち時間が8分だろうが2分だろうが変わらない自分のペースで、くつろいだ気分でグビグビやっているわけだ。 こんな、ひとときの過ごし方があるのかと、スマートさに不思議を感じつつ、「大人すげー」とリスペクトしてしまうのだった。 そして目の前の電車には必ず乗り込む。こういうどうでもいいカッコ良さを持つ大人が、昔は確かにいた。
・その男、泥酔状態につきさて、平成の時代はというと、車両の奥ちょうど連結部分のそばでつり革に掴まっているのが自分。とっくに若者ではなくなっている。 目の前には、平成生まれかな?と思しき若いサラリーマンが座席に座っている。ただし、完全な酩酊で泥酔状態である。 周りは誰も気にしていないが、完全に危険な顔色。 とはいうものの、車両の奥って結構居心地が良くて、簡単には移動したくないポイントでもあったりする。 どうしようどうしようと迷いつつ、連結ドアのノブはしっかり握って備える。
通勤サラリーマンの自分は、表題にある雰囲気から読み取れるように、ほとんどが“冴えない”結果の毎日である。 後の原稿で書けるかわからないが、よく絡まれ・よく怒られ・よくウザがられる。些細な点でも自分が嫌な思いをする場合がほとんどである。 いってみれば、野比のび太が通勤電車に放り込まれたようなものだが、唯一回だけ“冴えていた”とすれば、この日だったかもしれない。
とにかく喉元がアヤシイ…おかしな動きをし始めている。 まずい、と思うときには平成リーマンの上半身が伸び上がる。あわてて連結ドアを開けて連結部分に避難する。 周りは自分の急な行動に気を取られたのかもしれないが、この悪魔誕生には気づいていないようだ。 一応、ドアの窓から若者を指さして注意をうながしたが、ほとんど同時に破水。 せめて下向いてくれればいいのに、わざわざ背筋伸ばしてなのでいわゆる“鉄砲ゲロ”に。 シメに何食ったか一目でわかる、そういうブツだ。 連結ドアの窓にもべっちゃり掛かるほどの量に、周囲も逃げだす。車両奥の短いシートには平成リーマン以外、皆いなくなるほどの惨事である。 必死で逃げる者、窓を開けようとする者、写メを撮る者…ちょっとした地獄絵図だ。
・時移ろえば人も?再び、大人達が元気だったバブル時代の深夜列車。 つり革に掴まる自分の目の前に座る中年の様子がおかしい…と右隣の赤ら顔の人が気づいて、自分に話しかける。 「ニーチャン、この人吐くかもよ?」(そう言えば、昔は話しかけてくる酔っ払いが普通にいたっけ…) 慌てて逃げる自分を含めて、周辺に小さい半円の空間が出来上がる頃には、中年は下向いたままゴボゴボ吐き出している。 赤ら顔の冴えた観察力のおかげで、悪魔汁を浴びる惨事は防げた。
しかし、凄まじいまでの悪魔の匂いだ。 すると、今度は左隣で黙ってスポーツ新聞を読んでた人が、読み終わった紙面を分けて液体まみれの床に敷き始めた。 そしてまた黙って読み始める。 不思議なことに、新聞を数枚敷くだけで悪魔の
しばらくして自分はやっと少し落ち着くことができたが、この周りにいる大人たちはなんと冷静で的確な対応なのだろう、と感動するばかり。ただの深夜の酔っぱらい達ではない。 プロフェッショナルな大人と賛辞を送りつつ、何年経っても真っ先に逃げる自分を棚に上げたまま、シメとしたい。
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