7.今回エッセイを書いてくれた方:サッカーボール

サッカーボール

「ボールの親心」

やはりワタル君は高校に入ってもサッカー部を選んだらしい。

 

ワタル君というのは私の持ち主である15歳の少年のことである、

私は彼が8歳の時からずっとその成長を見守ってきたのだ。

 

 

なんでもワタル君は今やこの地域でも指折りの実力を持った

サッカー選手になっているという。

 

私が彼と初めて会った時、

まだ彼はドリブルの仕方もわからないような素人の少年だった。

 

それが7年間をかけてここまで成長してくれたかと思うと

とても感慨深いものがあるのだ。

 

 

今でもワタル君は私を使ってサッカーの自主練習をしているのだが

その成長を最も肌で感じることができるのはやはりシュートを受けた時だろう。

 

もう今の彼のキック力といったら強いのなんの、

サッカーボールとしては高齢者になってきている私にとっては

かなりの衝撃力なのだが、それと同時に嬉しい気持ちも込み上げてくるので

シュートを打たれた時はいつも変な感覚に陥ってしまうのだ。

 

 

ワタル君のサッカー選手としての才能は

小学校の高学年の頃には既に頭角を現していた。

 

先日彼が所属していた少年サッカークラブにいたボールと

話す機会があったのだが

彼は入った1年後には上級生達を押しのけて

そのチームのエースになっていたという。

 

そんな将来の期待できるサッカー少年のボールになれた私は

幸せ者だと言っていいだろう。

 

 

将来はサッカー選手になってほしいと私が思っている一方で

ワタル君の母親は私にこんなことを言っていた。

 

「将来はあの子のやりたいようにやらせてあげたい。

サッカー選手になりたいと言えば応援はするし

他の仕事をしたいと言った時にももちろん応援はする。

 

でも母親としてはやっぱり

普通の仕事をして普通の幸せを手に入れてほしいっていうのが

本当のところなんですけどね」

 

なるほど、やはり親というのは子供に大成功をしてほしいのではなく

小さな幸せを手に入れてくれればそれでいいと思っているのだなと

私はいたく感心した。

 

 

しかしもしもあの子が本当にサッカー選手になって

テレビに映っていたりなんかしたら私はすぐに泣いてしまうだろうなぁ。

 

最近は歳のせいか非常に涙もろいのだ。

 

この前だって「フランダースの犬」の「あのシーン」をちょっと観ただけで

人目もはばからず号泣してしまったのだから。

 

やはり歳は取りたくないものである。

 

鎌形のお礼コメント:

サッカーボールさん、ありがとうございました。

わかります、子供が成長するのを近くで見ていると

どうしても感動してしまいますよねぇ。

 

ただせっかくボールなんですから

「上級生」のところを「上球生」にしたりとか

「号泣」のところを「号球」なんていう風に書いてほしかったところです。

そうするともっと文章がユーモラスになったんですけどねぇ。

 

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