私が不安に思うことの中で大きな割合を占めているのは、体調不良、特に下痢に見舞われることである。
しかし実際に下痢に見舞われることは、半年か1年に1度あるかないかくらいで、むしろ私は普段、完全なる便秘体質なのだ。
私は便秘であることは大して不安ではなく、とにかく、下・痢・が・こ・わ・いのだった。
そのため、消化をうまくいかせるために、タイトルのとおり、食べ物は最低30回噛んだり、胃やお腹を冷やさないために飲み物も噛むなど、日々、胃と腸がテレビで見るような、歯茎に似た色をして元気にやっているか、顔色ならぬ臓色を伺いながら過ごしているのだが、それがけっこうなストレスになるのだ。
更に、雑菌が下痢を引き起こす想像をしたら、流しを触れなくなってしまった。
それから徐々に触れないものが増えていき、家事までできなくなってしまったため、先日、近所の精神病院に相談に行って来た。
下痢に脅かされるようになってしまったのは、高校時代、友人の卒業アルバムの寄せ書きのど真ん中に、大きくうんこの絵を描いた罰なのかもしれない。
ページをまたいで描いたのだ。
本来うんこが大好きな小学生時代に、そこまで爆発しきれなかった分が一気に来たのか、高校時代の私は、家でも学校でも、うんこの話をたくさんしていた。
その記憶が濃いらしい友人からは、今でもうんこのグッズをサプライズでもらったり、「怜ちゃんが好きそうな話」というタイトルで、うんこの話のメールが送られてくる。
このように、自他共に認めるうんこだった私が、まさかうんこに対する不安を相談しに精神病院に行くことになるとは、やはり友人の卒業アルバムに、うんこを描いた罰だろう。
先生は、物腰柔らかな中年男性だった。
下痢に怯えて日常生活がうまくいかない旨を相談すると、先生は、私のカルテの余白に人体の絵を描き始めた。
そのお腹周りに、下向きの矢印と、不機嫌な人のイラストでよくある黒いぐじゃぐじゃを書き加えながら、下痢よりも便秘の方が相当こわいのだということを延々と語り始めたのである。
下痢のことで頭がいっぱいで、便秘を否定される展開になるとは予想をしていなかった。
心配性の私は、自分が便秘であることがこわくなってきた。
私が便秘だということを知らない先生は、私の脳にヒヤシンスでも植えるかのごとく丁寧に、便秘はこわいという情報を植えつけていった。
「私は便秘なので、それ以上便秘のことを悪く言わないでください」と言うこともできたのだが、この後の先生の口から何を聞いても、コンクリート頭の私は、「でも、どうせ便秘はこわいんでしょ」としか思えないと思ったため、そうはしなかった。
こうして私は、意外な方向から新たな不安を抱え始めたのだった。
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