7.相槌を打たない文化圏
・器を口に付ける国、付けてはいけない国さて言うまでもないことであるが、文化や習慣というのは国や地域によって全く異なる様相をみせる。 時には正反対なんてこともちっても珍しくはない。 珍しくはないが、何の心の準備もなく直面すると、やはり人並みに当惑はするものである。 例えば僕は子供の頃から食事をするときに、何故か左手を使わず右手だけで食べていた。 すると父親から毎日のように、「左手でお皿を持ちなさい」と注意されていた。 でも僕としては右手だけで十分食べられるし、左手をお皿にちょっとだけそえる意味が全くわからなかった。 またご飯茶碗でご飯を食べるときには、茶碗を口元まで持ってきて食べるようにしつけられたが、僕としてはテーブルに置いたまま箸で食べて何の支障もなかった。 箸の使い方だけは幸か不幸かしっかりと教えられていたので、茶碗を口元まで持ってこなくたって特にこぼすということもなかったのだ。 でもやっぱり毎日叱られた。 それでも不思議なことにその習慣は簡単には直らなかった。 そして時は流れて、2002年。 僕は韓国へと留学した。 そこで驚いたことは幾つもあるが、最大のアイロニーがこれであった。 なんと韓国の人も僕と同様、食事をするときに左手でお皿を持ったりしないし、器を口元まで運んだりはしないのだ!! しないというよりは、もしも器を口元まで持っていって食べると、行儀の悪いサンノムと言われてしまうのだ。 ちなみに「サンノム」とは「下卑たヤツ」という意味であるから、かなり程度の強い言葉である。 つまり日本ではこれをしないと行儀が悪いという行為が、他の国ではそれをすると行儀が悪い行為となってしまうのだ。 僕はこの時お父さんに「ほら見てよ、左手は使っちゃだめなんだよ。やっぱり僕の食べ方が国際標準なんだよ!!」と言ってあげたかった(たった一国の例だけで国際標準と言うのは無理があるとしてもである)。
・聞き上手はうなずき上手…ではなかったでも韓国では、これ以上に僕を困惑させたこともあった。 それは僕が何かの話を友達なりに話していると、相手が僕の話を聞いているかどうか全くわからないということだ。 と言うのも、散々熱く僕が何かの話しをした後に相手が何の脈絡もなく、何のコメントも相槌もなく、いともあっさりと全く違う話をはじめることが多々あったからだ。 そこで僕は毎回のように、「ちょちょちょ、ちょっと待って」と言わなければならなかった。 そして僕は相手に聞こう聞かざるを得なかった。 「僕の話聞いていた?」 それに対して相手はいかにも当然という顔をして、「うん、こんなに近くで話しているのに聞いてないわけないじゃん」と返答してくる。 「じゃあさ、なんで一度も相槌しないで、すぐに別の話に移ったの?」と聞いてみると。 「相槌?ああ、してなかったっけ?でもちゃんと話は聞いたよ。そして話が終わったみたいだから、別の話をしただけだよ」とのことだ。 していないどころか、ちょっと頷くことも「うん」の一言もないんですけど・・・そうなのだ韓国の人は日本人のように話の合間合間に相槌をするという習慣がないのだ。 もちろん、面白い話や驚いたときなどは、自然と笑ったり「アイゴ-」と感嘆詞を連呼することもあるが、しょっちゅう頷いたりはしないのだ。 これは慣れないと、相手が自分の話を聞いているんだかどうだか分からないので、非常に話しづらい。 でもこれが韓国では当たり前なので、お互いに変な誤解をしないように気をつけたいものである。 僕の妻は韓国の人なのであるが、結婚当初「何で僕が話している時、相槌をしてくれないの?」と聞いたら、先の友達と同様に鳩が豆鉄砲でうたれた様な顔をしていた。 ・ジョーシキなど非常識ですしかし先日ちょっと面白い話を聞いた。彼女が久しぶりに自分の国に帰って旧友といろいろとおしゃべりして来たのだが、彼女曰く「皆が相槌をしてくれないので、とても話しづらかった」とのことだ。 お分かりだろうか?彼女もいつの間にか、すっかり日本式の相槌文化に慣れてしまったので、自分の国に戻って「逆カルチャーショック」を受けて来たのだ。 めでたしめでたしである。 このように近くても外国であるので、こちらの常識と他の国の常識は違うのだ。 そんな当たり前の事を知っていると、多少考え方や習慣が違っても「まあいっか」と思えたりする。 そして、「小さなことにくよくよするな」という大ベストセラー本の著者がその副題に「しょせん全ては小さなこと」と書き添えたように、そんなもんかと思って心穏やかになるのではなかろうか。 でもやっぱり相槌やリアクションは必要ですよー、特にこんな売れないエッセイを書いている僕に対しては励まし、激励、愛情のこもったリアクションをお願いしたい!!
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