・あの時・・・。
あの3月11日、福島県いわき市の自宅にいた私は、その揺れと、地響きに驚き、表に飛び出した。
近所の者、通行人が地べたに座り込み、恐怖に引きつった顔で這いつくばっていた。
大地は揺れ、電線がぐらぐら波打っている。
長く、長く、とてつもなく長い時間を感じた。
近くの小学校へ走り、避難してきた大勢の住民と、叫び声の中にいた。
とんでもない大地震だと感じ、咄嗟にあの阪神淡路のことが過ぎった。
あの時人々が車の中で何日も過ごした光景が思い浮かび、車を高台に移動していた。
その時、津波を想定していたわけではないと思う。多分。
後でも述べるが、ここいらは「津波は来ない」という伝承があるのだから。
とにもかくにも、車があれば生き延びることができるのでは…と思ったのは事実である。
結果して車は津波に流されずに、移動手段としての役割をしてくれた。
再び自宅へ戻った私は、足の悪い叔母を思いだし、一輪車を持ち出し、家の脇道へ走った。
津波被災地
・えっ、 ツナミ?
その時、水が押し寄せてくる光景に遭遇した。
大きな津波でなく、道路を這うような水流であった。
それを見て、「おばちゃん、ゴメン」と心の中で叫び、小学校へとって返したのである。(後日、伯母の無事を聞き、心の底から安堵したものである。)
「津波がくるぞー」と叫びながら小学校へ戻り、妻と一緒に居た縁戚のおばさんを一輪車に乗せ、車の場所へ向かった。
太っているそのおばさんは大変重く、一輪車は中々進まず、2,3m進んでは倒れ、ふらふら、よたよたしながら、押し進めた。
車に飛び乗り、高台にある「福島県いわき海浜自然の家」に、駆けこんだ。
建物の中は、続々とやってくる人たちで溢れかえり、大混乱していた。
「おばあちゃーん!」「○○ちゃーん!」「○○さんいるー?」・・・親や子供、知人を探し、呼び叫ぶ人の声が響いた。
TVでは、考えもつかない大津波がおし寄せる光景が映し出されている。
津波に追われ、逃げまどう人々。
屋上で助けを求める人。家や、車が流されていく様子。
この世とは思えない状況が、アナウンサーの絶叫とともに映しだされていく。
余震が続き、ドドーンと突き上げるそのたびに人々は悲鳴を挙げた。
ゴーッと唸るようなその不気味な地響きに、この世が終焉するのではと思われた。
恐怖、不安で一睡もできないこの夜から、もっと厳しく、困難な事態が発生し、人々が逃げまどうことになろうとは、及びがつかなかった。
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