子供のころ買えなかったガンプラがいつの間にかカッチョよくなっている。
好きに使えるお金もある。
寝る直前まで作業しても怒られない部屋もある。
団塊ジュニアの僕は出戻りモデラーの穴に簡単に落ちました。
・干渉されない“モノ作り”の愉しさ
プラモデルを作るのがたまらなく面白かったのです。
子供のころと較べて材料や工具が格段に進歩しています。
まあ15年経ってると浦島太郎ですよ。普通に組むだけでもちょっと改造するにも、やたら向上心を刺激するのです。
僕の仕事はモノをつくることなので、常に評価の目に晒されます。
出来の善し悪しだけではなく、クライアントのさらにさらに上の方からのちょっと意味わかんねえ修正の命令もあります。
もちろんお客さまのニーズと営業的な判断とのバランスを取りつつ、僕が面白いと考えるものを日々こさえているわけです。
しかしプラモデルは誰からも評価されないで済むんです。
納期も締切もないんです。
自分が満足するまでじっくり作りこむことも、ちょっといいかげんに作って「まあいいか」で放り出すことも自由なんです。
誰からも怒られずに、自由にモノを作れるんですよ。
そしてコンピューターで文字や写真をいじるお仕事と較べて、実際にモノを触ってカタチができあがっていくこのダイナミズム。
というか確実な手応え。
模型作りは、いろんな現実からの解放を実感できる、まったく幸福な時間でした。
・同志が、いるいる
さらにインターネットの存在があります。
インターネットによってあらゆる趣味分野が活気づいたのは歴史的な事実です。
どんなにマイナーな趣味にも同好の士はいて、その情報が世界規模で共有される環境ができあがっていった時期でした。
僕が入り浸っていたのは「2ちゃんねる」の「プラモ・模型板」なんですが、同じ趣味を持つ全国の人と慣れ合いつつ切磋琢磨しつつ、という環境は、田舎の子供時代にはありえないものでした。
ちょっとしたアイディアや新製品の情報。
おバカなネタやハイレベルな作品。
質問を投げればすぐに教えてくれる頼りになる「先輩」がいっぱいいました。
戦車や飛行機やカーモデルを専門にしている人ともやりとりできて、ジャンルごとにちょっとずつ異なるノウハウを共有しては自分の模型で活かすという創造的サイクルのある空間でした。
そこには自分よりもイカれた人がたーくさんいたので、常識のラインがちょいと狂っちゃったんだと思います。
部屋がお店のようにプラモデルの箱でぎっしり、というのはね、まるで珍しくないんですよ。
さらに加えて、モデラーには「お布施」という概念がありました。
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