2.通行人を誘惑する黒板の文字!

新宿という街はかつて「角筈(つのはず)」と呼ばれていた。

今の西新宿から歌舞伎町のあたりまでが角筈村だったのだ。

こう書くと新宿を知る人はおやっと思うかもしれない。

歌舞伎町と西新宿は新宿駅で分断されているからだ。

しかし、角筈という地名は鉄道や駅ができる江戸時代からのものである。

駅のほうがあとからできたのだ。

 

そんな江戸時代からの呼び名である角筈が古くさい響きであったのだろう、戦後になって「歌舞伎町」と名前を変え、ここが一大歓楽街へとなっていく。

歌舞伎町は昔からの町名だと思っている人が多いが、戦後に作られた名前なのだ。

 

では新宿はどうなのか。

名前の通り、新宿というのは新しい宿場ということである。

宿場というくらいだから江戸時代の話。

もともと日本橋からスタートする甲州街道の最初の宿場は高井戸であった。

ところが、この距離が長いということで、その中間地点に宿駅がつくられたのだ。

場所は今の四谷4丁目から新宿3丁目までが宿場町であった。

信州高遠藩の内藤家の敷地があったことからこの宿場を内藤新宿と呼んだのである。

 

宿場には旅籠(はたご)があり、ここには飯盛女(めしもりおんな)がいた。

表向きは宿泊者の給仕をするということになっているわけだが、実際は夜のサービスもしてくれる。

 

こういった旅籠は玄関から入ると、板の間に格子があって、その向こうに女性たちが並んでいて、客が選べるようになっていた。

実に楽しそうなシステムである。

 

現在、そういった性産業は歌舞伎町のほうが盛んだが、江戸時代の歌舞伎町あたり(つまり角筈)は農村地帯であった。

セックス産業としての盛り上がりは、宿場町であったいまの新宿1~3丁目の地域である。

 

ところがこの内藤新宿、当時としては爆発的な人気となり、いったんは風紀を乱したということで、廃止になっているのだ。

 

復活後は以前にも増して、セックス産業的なお店ができたらしい。

明治になってからも「新宿遊郭」と呼ばれ、盛り場として大きくなっていく。

さて、今回の散歩で歩いてみたいのは新宿1丁目である。

昔はこのあたりにも多くの飯盛旅篭があったそうだ。

それが貸座敷と名前が変わり、大正時代になって、それらセックス産業のお店はすべて2丁目に集められたそうだ。

 

なにか、当時をしのばせるものはないかと探してみたのだが、それで見つけたのがこの黒板である。

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「私はパンと紅茶が好きです。パンティ(ハート)生は350円」

とある。

生パンティを売るブルセラ系なのだろうか。

ちなみに店は閉まっていた。

数日後、再び店の前まで行くと、若い男性が携帯電話でこの黒板の写真を撮っている。

ちょっとちょっとぉ、これはなんですか?

 

「あ、ここはおでん屋さんらしいんですけど、この看板、オヤジギャグで毎日変わるんですよ」

とのこと。

なんだぁ、オヤジギャグか。

と、その近くにある店の看板に

「仕事が酒味の店」

というのがあった。

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最初は<さけあじ>ってなんだろうかと思ったのだが、これで<しゅみ>と読ませるらしい。

なんだかこれもオヤジギャグである。

 

というわけで、新宿1丁目はオヤジギャグの街であった。

 

黒板のお店

「おでん居酒屋 花ちゃん」

東京都 新宿区新宿1-13-8 葵ビル1F

 

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