1.宣告前夜。

2017年10月初旬、職場で会議に出席しているとき、何気なくついた頬杖からすべては始まった。

「なんだ、これ??」

首にかなり大きい腫れがある。

イメージとしてはピンポン玉を一回り小さくしたくらいの大きさの腫れ。

これまでこんなのあったかな。まあ、よく言う扁桃腺の腫れかな。最近、仕事も残業続きだったし、風邪の予兆かな……。

でも、何となく気になったので、妻に相談してみた。

「気になってるなら、耳鼻科行ってみなよ」

まあ、その通りだよね。自分がもし逆の立場ならそう答えるし。

ちょっと面倒に思っていたので、誰かに背中を押してもらいたかったのかもしれない。

でも、まさかここから長い長い闘病がスタートすることになるとは、このときの僕は想像すらしていなかった。

翌週、会社を定時で退社し、勤務先近くの耳鼻科に向かう。インフルエンザ予防接種でお世話になっている、いわゆる「町医者」だ。

「はい、花木さんどうぞー」

入るなり診察室に呼ばれた。この患者の少なさがこの耳鼻科の魅力でもある。

年配の、平和そうなおじいちゃん先生に、状況を伝える。

先生は軽く触診をして、喉の様子を見るものの、よく分からないらしく、「うーん、風邪かなんかでしょうかね、一旦は抗生物質で様子を見ましょう」ということになった。

翌週、腫れは少し小さくはなったものの、完全になくなるにはほど遠く、さらに通院は10月いっぱいまで続いた。

僕自身も、現業が忙しかったし、何より症状が全く出てなかったので、できるだけ気にしないよう、悪い方に考えないようにしていた。

それでも、一向になくなる様子のないピンポン玉の存在感は僕の中で日に日に大きくなっていく。

いよいよ10月も終わりに入る頃、先生に依頼し紹介状を書いてもらい、11月13日(月)にもっと大きな総合病院に精密検査を受けに行くことになった。

先生は、「まあ、大丈夫ってことを確かめに行くのもいいでしょうね」とやはり平和そのもの。

ここでもし、僕が、精密検査という選択を選ばなかったら……。そう考えると、ホント恐ろしい。

さて、予約日当日。会社に行く前に、総合病院に立ち寄り、精密検査を受ける。

触診から、針による組織検査と細胞診を受けたのだが、触診を境に、何となく医師の顔色が変わり、場の空気に緊張感が生まれた。

ただの腫れにしては物々しいな。

でも、大丈夫。

しこりは確実に小さくなっているし、もう一つ腫れが出てきたものの、最初のものよりは全然インパクトは小さいんだから。

今日の検査では不十分な場合のことを想定し、念のため組織を切り取る生体検査の下準備として、採尿やらレントゲンなどを撮り、この日は終了した。

「あー、なんだかんだで2時間もかかっちゃったよ」

上司には少し病院に立ち寄ってきます、くらいしか言っていなかったので、帰ったら遅くなったこと報告しないと…。

と思うくらいに、まだこのときは気持ちに余裕があったわけだ。

検査結果は1週間後の月曜日に出ることになっていた。

週の半ばくらいまではまだ良かったものの、月曜日が近づくにつれ、どうしても不安のほうが勝ってくる。

もしかして悪性リンパ腫(血液のがん)だったら…。だとしたらステージは…? 気になって片っ端からウェブで調べてみた。

症状は特に該当するものはない。多少貧血気味なときはあるが、体重も維持できているし、全体倦怠感もそれほどではなく、寝汗もないし、熱も特にない。

強いてあげれば喉が乾燥しているのが続いているくらいだろうか。

中には化膿性のものなど、悪性でないものもあるようだが、とはいえ、やはり最悪のシナリオは描いておかないといけない。

何よりも、触診のときの医師のあの顔色が、僕の脳裏をどうしても離れてくれない。

その週の土曜日から翌週月曜日まで、中学の友だちとかつて住んでいた香港への旅行を楽しみにしている妻は、僕のそんな様子を見て、「旅行、やっぱやめとこうか?」と言ってくれたが、それは押し戻した。

むしろ帰ってきたら、大変なことが待っているかもしれない。だとしたら、結果が分からない今ならまだ自分一人で持ちこたえられるし、できれば、めったにできない子供無しの旅行くらいは楽しんできてほしい。

そんなことがずっと頭をグルグルと駆け巡り、結果の出る前の週はほとんど寝れない日もあった。

救いだったのは、週半ばに会社帰りに向かったカウンセリングでの自分の発した言葉だった。

僕は、会社の福利厚生を利用して、数ヶ月に一度、心理カウンセラーからカウンセリングを受けている(カウンセリングは、うつ病などの疾患でなくても、健常者がメンタルヘルス不調にならないように予防として使うこともできるのです)。

話題は、仕事や家族、自分の目標や人間関係などさまざま。

たとえ悩みや相談がないときであっても、その時点での自分の気持ちや葛藤を整理できるし、その数カ月の成長実感も得られる。

この週は仕事もハードで、気力はほとんど残っていなかったが、それでも約束の場所、約束の時間に向かい、50分間、話し続けた。

もしも病気だったら…。不安や恐怖はもちろんある。

でも、何か起きたとしても、僕は僕のこれまでやってきたことを引き続きできる範囲でやるだけだ。

仕事も家事育児もそれ以外の活動も、これまで自分なりに精一杯やってきたのだから、今さらジタバタする必要はないじゃないか。

評価や成果は必ずしもついてきてはいないものの、自分のコントロール範囲ではなんだかんだで全力でやってきたのだ。結果がどうなろうと、これからもそのスタンスを貫けばいい。

でも、家族や会社には迷惑をかけるかもしれないな。こんなときでもやはり迷惑をかけたくない自分がいる。それだけが気掛かりだ。

といったことを話した。カウンセラーの方は、ただただ僕の話を聞いてくれ、そして、否定することなく言葉一つ一つを受容してくれた。

そして土曜日、日曜日は、妻不在の中、子どもたちとゲームをしたり、動物園に行ったりと不安をかき消すように笑い、怒り、楽しんだ。

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いよいよ結果は、明日月曜の朝に出る。もしかしたら、明日からは新しい自分になってしまっているかもしれない。

だとしたら今日一日をこれまでの自分の最終日として、今まで通りやりきるしかない。

最悪の想定をしながらも、希望を失うことなく、一日を全力で生きよう。

動物たちののんきな昼寝姿を横目に、僕はそんな決意を固めていた。

2017.11.19

※以下は、香港に飛び立つ前に妻から送られてきた画像。その後も、楽しげな写真が次々と送られて来たが、まさか帰国後に生活が一変することになるとは、思いもしなかっただろう……。

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(続く)

【参考】『青臭さのすすめ』(花木裕介著・はるかぜ書房)

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