32.道成寺の見所⑩―鐘入り 鐘に吸い込まれて足が消える

・謡に乗って、扇で烏帽子をはね落とす

急ノ舞のあとの謡は前回見たように、和歌や漢詩の世界に重ねて入相の鐘に桜が舞い散る光景や、女が舞い続ける時間の経過を感じつつ勢いづいて、後半の「人々眠れば好き暇ぞと」からはシテの動作や心中を具体的に追っていく。

この謡に乗って、シテはいよいよ鐘入りへと進むのである。計算しつくされたクライマックスだ。

 

その動きやタイミングには流派によって多少の違いがある。以下、観世流の場合を見ると、「立ち舞う様にて狙い寄りて」で鐘に向かい寄って扇で撞こうとする動作を見せ、「撞かんとせしが」で、クルリと1回転しつつ、烏帽子を扇ではね落とす(烏帽子を被ったままでは鐘入りできない)。

 

・足拍子を踏んで、次の瞬間

烏帽子をはねると、「思えばこの鐘恨めしやとて」で鐘の真下に入って正面を向き、両手を鐘のふちに掛け、「竜頭に手を掛け」で、左・右・左・左・右・左と、六つ拍子を踏む。

そして次の「飛ぶぞと見えし」で、シテはバッと飛び上がり、鐘は間髪入れずにドッと落ちる。一瞬の鐘入りだ。

 

笛のヒシギが悲鳴のように響く中、70キロの鐘がシテを飲みこみ音を立てて落ちると、舞台にはただ巨大な鐘がどっかと鎮座するばかり。

「引きかずきてぞ失せにける」と地謡が謡い収め、囃子も止む。

第32回画像

・鐘に吸い込まれて「足が消える」

鐘入りの巧拙は、まず呼吸である。シテの飛ぶ呼吸と、鐘の落ちる呼吸がピタリと合致して初めて、シテの姿は鐘に飲みこまれ、飛んだ足が鐘の中に消える。

ここでふっと足が消えるのが、鐘入りの醍醐味だ。

 

もし飛ぶのが遅れれば(鐘が落ちるのが早いと)、足を残したまま鐘が落ちることになる。

逆に飛ぶのが早いと(鐘が落ちるのが遅いと)、飛んだシテが床に着地する姿が見えてしまい、これも見苦しい様となる。

 

シテの飛ぶ高さの加減もあるだろうし、飛びながら膝を曲げて足を引っこめる技も必要だ。

そうしないと足を消すことはできない。

落ちてくる鐘に向かって飛ぶのはさぞ怖いだろうが、鐘後見の技量を信じて思い切りよく飛ぶことが肝要だ。

 

まあ「消えるか、消えるか」と、あんまりそればかり注目するのもどうかと思うが、鐘入りを味わう重要なポイントの一つであることは間違いない。

 

・宝生流と喜多流の鐘入り

宝生流と喜多流も、観世流と同様に鐘の真下から垂直に飛ぶ。

ただし鐘の下に立つ向きが違う。

正面ではなく斜め後ろ、鐘後見のほうを向くのだ。

そして宝生流は両手を鐘のふちにかけ、左・右と二つ拍子を踏んで飛び、喜多流は左手のみをかけて、二つ拍子で飛ぶ。

足拍子で呼吸を合わせるのも観世流と同じだが、二つ拍子のほうが忙しくなる分、間合いをはかるのがより難しいかもしれない。

 

なお、飛び込むときの鐘の高さは人それぞれで、挙げた手が届かないほど高い位置から鐘を落とす場合もある。

 

・鐘が回れば無事の合図

鐘入りした直後、落ちた鐘を見ていると、すぐ床から少し浮かされるのに気づくだろう。

そして浮いた鐘はたいていクルリと回る。

これは鐘の中のシテが回したもので、鐘を回すことで無事であることを後見に知らせている。

なのでここで鐘が回ると、観ているほうとしても「ああ、無事成功だったのね」とまあ、興奮冷めやらぬ中でもホッと安堵するのである。

 

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