10.仕分けしながら、がれき撤去をする

・生活感があふれるものも…

「がれき」といっても、それまで被災者が暮らしていた家の瓦や柱、窓ガラス、布団や衣類、食器など生活用品、庭の木などです。

それを木材や衣類などは可燃物、ガラスや窓枠などは不燃物と分けて、山にしていきます。

初めてツアーで行った2011年6月の岩手県陸前高田市では、震災から3カ月後ということもあり、津波で流された冷蔵庫やベッドなどがまだ残っていました。

冷蔵庫など大きなものは男性、女性は布団など小さなものを移動しました。

津波被害にあった畑で、がれき撤去をしていたときには、ラミネート加工してあった、きれいな卒業写真を拾ったこともあります。

これまで訪れた被災地は、震災前を知らなかったため、淡々と作業できましたが、平和で穏やかなときを知っている人には、たまらないだろうなと感じました。

ご両親が被災して仮設住宅に入っている宮城県石巻出身で東京在住の知人は、家が流された土地に立っても、「実家があったと想像できない、別のところにいるみたいだった」といっていました。

彼は被災地に行って、ボランティアをするという気持ちにはならないようです。

 

・墓地のがれき撤去

最初に南相馬に行った2011年10月のボラバスでは、墓地のがれき撤去を行いました。

翌月個人で行ったときにも、違う墓地のがれき撤去を行いました。

倒れた灯篭などを片付け、外柵の中に入った砂を掃除するという作業です。

私の先祖のお墓は石碑と水鉢・花立だけなのですが、南相馬では外柵があるほか、灯篭などもあり、ひとつ一つのお墓が大きい。

地震と津波で、大半の石碑が倒れているうえ、外柵の中が砂でいっぱいでした。

文字が入っている石碑は残し、それ以外の灯篭などは一輪車などで不燃物の山に運びます。

砂も砂の山に運んだあと、土のう袋に詰め、土のうを積み上げるまでを行いました。

11月の5泊6日のボランティアの前半はこの作業をしていました。

一緒に行った友だちがこういう作業にも慣れていたので、最初は彼女の真似することから始め、徐々に慣れていきました。

3日間、同じところで作業をしていると、地元の人が話しかけてきたり、墓地で同時に作業していた石屋さんに話しかけたり、話しかけられたりして、顔見知りになりました。

地元の人との交流も個人ボランティアの醍醐味です。

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12年9月に行った南相馬では、被災家屋の清掃をした。海水につかった衣類やナベなどを、可燃物と不燃物に分けたトン袋に詰めていった。布団や衣類、大きな漬物鉢や果実酒などで、すぐにトン袋がいっぱいに。

 

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