33.道成寺の見所⑪―鐘入り 斜めに飛び込む・飛ばない
・「斜入」という離れ業の鐘入り観世流、宝生流、喜多流の鐘入りは、鐘の下に立つ向きや手の掛け方、足拍子の数などに多少の違いはあるものの(→第32回)、鐘の下からまっすぐ飛ぶことに変わりはない。 それでも鐘入りには危険が伴うというのに、「斜入」と呼ばれる、さらにスリリングな型がある。 この場合は鐘の下には立たず、鐘の外側から、落ちてくる鐘に向かって斜めに飛び込むのである。
斜入で鐘入りをするのは金春流と金剛流で、特に有名なのは金春流の桜間家だ。 桜間家は江戸時代、九州熊本の細川家に仕えた能の名家。 明治に入って17代桜間左陣が上京、「道成寺」を演じてたちまち評判となり、昭和の三名人にも数えられた。 その鐘入りは、鐘のわきで左手を挙げ、鐘の縁にふれて位置を確認。 足拍子を踏んで斜めに飛び込むが、ただ飛ぶだけでなく捻りまで加わる。 斜め後ろ(鐘後見のほう)を向いて踏み切りつつ、身体をひねって回転し、飛びながら正面を向くのである。
それで金春流の斜入は桜間家のお家芸のように言われるが、金春流79世宗家金春信高師によると、幕末の金春家の型付けにも斜入の記述があるとのこと(☆)。 ゆえに桜間家だけの型ではない。 一方金剛流の場合は、脇正面から扇を挙げて鐘の縁を指し、一歩踏み込んで斜めに飛び込む。いずれも固唾を呑む離れ業である。 ・どっちがより難しいのかところで、金春流や金剛流の「道成寺」であっても、必ずしも斜入で鐘入りするとは限らない。 「そりゃやっぱり斜入は危険だもの。飛び込む角度の調整もあるし、外から鐘を潜って入る分、より高い位置から鐘を落とさなきゃならないし、安全を考えれば無理もないことだわ」 と、素人は思ってしまう。 が、必ずしもそうではないらしい。
例えば観世流の鐘入りは、鐘の真下に立って縁に両手を掛け、しっかり六つ拍子を踏んで飛ぶ。 位置もタイミングも合わせやすそうだし、最も安全……と思えるのだが、斜入をする金春流の役者に言わせると「観世流のはとても怖くてできない」のだそうだ(☆2)。 上記の金春信高師も「見た目のスリルは斜入の方がありますが、技術的には鐘の真下に行く方が難しいのではないかと思っています」と述べている。
えええ? そうなの? いささか理解に苦しむが、これはもう演者にしかわからない境地……としか言いようがない。
・飛ばない鐘入り?前述の桜間左陣の甥に当たる桜間道雄(1897-1983年)は、30代で「道成寺」を拓いて以来、70歳に至って「新しい工夫がついたから」と再び「道成寺」を舞った。 高齢でこの曲を演じるのは珍しい上、桜間家の鐘入りは捻りつきの斜入だ。 「果たしてできるのか」と客席が目を凝らせば、道雄師は鐘の真下に入って両手を鐘の縁に掛けた。
「ああ、やっぱり大事をとって真下から飛ぶのか」と思った瞬間、そのままグルリと一回転して扇を逆手に持ちかえ、いきなり膝をついたところへ鐘が落ちた。 「飛ぶぞ、飛ぶぞ」と誰もが決めてかかる中、飛ばずに膝をつくという逆をいく演出に、観客はすっかり意表をつかれて絶句(☆3)。 実に見事な工夫である。
この工夫は一つの型となったのか、その後も年配の役者が道成寺を演じる際に、飛ばない鐘入りが行われることがある。
・鐘を落とさない?さて、その桜間道雄師だが、80歳になって道成寺を舞っている。 このときも鐘の真下に入って膝をついたが、同時にスルスルと鐘が下がってきたそうだ(☆4、山崎有一郞氏の言)。 つまり、鐘の綱を放してドサッと落としたのではなく、綱を緩めてスルスルと引き下ろしたわけで、同じ膝をつく演出でも鐘の落とし方に新たな工夫をしたのだ。
この演出について山崎氏は「見ていると怖いんだよ、鐘が揺れているから」と述べている。 ちょっと考えると、綱を放してドサッと落とすより、ゆっくり引き下ろすほうが安全そうに思えるが、実際は綱の振動が伝わって鐘が揺れる。 それで座しているシテの頭に鐘が当たりそうで、却って怖かったということだろう。 なるほどそうしてみると、むしろ綱を放して鐘を落とすほうが、まっすぐ落ちてくるという意味では安心なのかもしれない。
ちなみに当の道雄師、この演出をNHKのテレビ放映で見て、「気に入らぬ。85歳でまた挑戦する」と宣言したそうだが、残念ながら果たせずに亡くなった(☆3)とか。
☆ 『別冊太陽79 道成寺』1992年、54頁、金春流宗家金春信高師の言葉。 ☆2 同上、36頁。 ☆3 増田正造「なぜか『道成寺』」同上、6頁。 ☆4 山崎有一郞『昭和能楽黄金期』檜書店、2006年、143頁。 |