4.心霊写真を撮りたくないのに願ってしまう

私は小さい頃、母には私のすべてを知っておいてもらわないと、不安で耐えきれなかった。

つまり、隠し事ができない子供だったのだ。

それは、嘘をつくのが下手で、いつも最後には必ずママにバレちゃう、略して「ママバレ」。という可愛げのあるものではなく、本当の意味で隠し事ができないのだった。

そのため、本当は言いたくないことまでも母に言わなければならず、幼稚園に通っていた頃、つばめ組にいる好きな男の子の名前を、夕飯を作っている母の背中に向かって、泣きながら明かした。

だから私が異様な不安感を抱いているのは小さい頃からだったのだと思うが、それを自覚し始めたのは、つい最近である。

 

小学生の頃、クラスメイトのNちゃんが、「OちゃんとYちゃんと心霊写真を撮ろうって言って写真を撮ったら、そこに本当に幽霊が写ってた」と言っていた。

その話を聞いてから、例の不安感を自覚し始めるまでの期間は、そのことについて忘れているほど、特に何も感じなかったのだが、最近は写真を撮るたびに、Nちゃんのその言葉が蘇ってきて、「心霊写真が撮れますように」と願ってしまうのだ。

 

それは本心ではない。

赤身より真っ赤な嘘の気持ちである。

私は、心霊写真が撮れますようにと思いながら写真を撮ったら、幽霊を怒らせてしまい、呪われると思っている。

ただでさえ、今の私にはアメリカ人男性の幽霊が憑いているように思えるのだ。

これ以上幽霊に呪われたくはない。

だからこそ、思ってはいけないことを思ってしまう。

シャッターを切るときの私の心の中は、「心霊写真が撮れますように」「嘘!」「心霊写真が撮れますように」「嘘です!」の繰り返しだ。外見は笑顔だが、内側では一種の短いパニックを引き起こしている。

そしてなるべく、「嘘!」のタイミングでボタンを押すのだ。

きっと幽霊は、当然のように心を読む能力を持っているだろうから、私の本心も見抜いてくれているだろうと信じながら。

 

心霊写真は、そこに写っている人ではなく、その写真を撮った人に対して、幽霊が何かしらのメッセージを送っているみたいな話を聞いたことがある。

だから私は、もし自分が撮った写真に幽霊が写っていたらどうしようと思い、自分が撮った写真をじっくり見ることができない。

写真関連で不安になることがもうひとつある。

私が誰か周囲の人の写真で、生き霊となって写り込んでいやしないかということだ。

これは年に1度思うか思わないかくらいの不安だ。

第四回イラスト

 

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