15.今回エッセイを書いてくれた方:クラーク博士像

クラーク博士像

「インプレッション」

なんでも私の右手の指す先には

「遙か彼方にある永遠の真理」というものがあるらしい。

だが少なくともその方向を38年間も眺め続けている私には

そんなものが見えたことは一度もなかった。

そこにあるのは広い草原と広い空だけだ。

 

私が制作されたのは1976年のこと、

それから38年間もの間、私はこのポーズをとり続けている。

本人には何の恨みも無いがこのポーズをとり続けるのは

銅の体でできている私にとってもなかなかツライ。

誰もいなくなった時にたまに手を下ろして休んだりはしているが

なかなかゆっくりとできる時間が無く

すぐにまたいつものポーズをとらなければいけないからそれはもう大変だ。

だからもっと楽なポーズをとっている他の銅像のことが

時々羨ましくなってくることもある。

 

私には日課として行っていることが一つある。

それは私のモデルになったクラーク博士について調べることだ。

何しろ私は彼自身のことを何も知らない、

そのためクラーク博士という人がどのような人物だったのかを

私を観に来た観光客達に直接訊いたりしているのだ。

みんな私に急に話し掛けられて驚くのだが

パソコンもケータイも持っておらず

それしか私には知る術が無いのだから仕方が無い。

 

聞くところによるとクラーク博士というのは

随分と多大な功績を残した人物だったようだ。

なんでも「北海道の開拓の父」と呼ばれていて

北海道の歴史を語る上では無くてはならない人物なのだそうだから。

その人気ぶりは現在の北海道のスターと云われている

大泉洋という人物にも負けていないというのだから

そんな偉大な人物の銅像になれたことについては

私は非常に光栄なことだと思っている。

 

それから聞き込みを続けている内に一つ、驚きの事実が発覚した。

なんでも日本人は皆「クラーク博士」という名前を耳にした時

本人の顔ではなく、私のとっているこのポーズ、

もっと言えば私のことを真っ先に思い出すのだそうだ。

つまり知名度で言うならば「クラーク博士」よりも

「クラーク博士像」の方が高いということになるのである。

それほど私のとっているこのポーズというのは

人々の印象に残るものだったのだろう。

 

今日も観光客達は私と同じポーズをとりながら一緒に写真を撮っている。

ポーズ一つで全く違う印象を持ってしまうのだから

人間というのは面白いものである。

 

鎌形のお礼コメント:

クラーク博士像さん、ありがとうございました。

なるほど、確かにそのポーズをずっととり続けるのは大変そうですね。

原稿の執筆も誰も近くにいない時に

コッソリと少しずつ書いてくれていたのかと思うと

感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。

また北海道に行くことがありましたら寄らせて頂きますね。

 

次回エッセイを書いてくれるのは…

未定です、お楽しみに。

 

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