25.皆何故怒る
・いさかいキライ諍いはくだらない。つくづくそう思う。 当たり前に誰でも嫌だろうけど、たまに好きだろって思いたくなる人がいる。 好戦的というか、粗暴な人と言えばいいのか、とにかく居る。 みんなは職場とか近所とか身の回りにいるんだろうけど、自分は通勤電車で見つけやすい。
売り言葉かキツイ冗談か曖昧なものから、顔を真っ赤にして怒鳴りだすものまで、朝夕お構いなしだ。 自分は、興奮するとコイのように口をパクパクさせて言語不明瞭になるからしない正確に言うと、チキン過ぎてできない。 通勤電車は危険一杯の空間という認識でいるが、歳をとれば、それなりに慣れや度胸もついて神経も太くなるかと、若い頃は期待していた。 でもそんなことはまったくなかった。 ・このピンチをどうすればいいかで、自分は睨まれているわけだ。 目の前に座っている人が今にもキレそうなのだ。 足位置に突撃して、ナナメ座りのようになってしまっている。 睨み、舌打ち、足グイグイと、かなりの嫌がりようだ。 それは自分が相手を不快にさせているのだから、気がついたときにすぐ解消させればいいことだ。 だが、残念なことにそれができない。 満員電車というのは、自分の意思とは無関係にチキンを粗暴に変えることがあるのかもしれない。 正確に言えば不可抗力であり、無理に乗り込む人が3割、自分が3割、ドア横にいた人が4割といった過失割合だと思う。 なのに自分だけが睨まれるのも理不尽な気がする。 そう思えば、仕方ないと居直ってもみるが、それも舌打ちひとつで元の自分に戻ってしまう。 1秒でも速く駅に着いてくれないかと祈る気持ちになる。 そして、このピンチをしのいだのは、別のトラブルである。 自分の後ろにいた2人が、踏んだ踏まない・寄りかかった寄りかかってない、といさかいを始めたのだ。 お互い胸元を掴むもみ合いなのを、自分はこれ幸いと立ち位置を安全圏に起き一息を着く。 卑怯ついでにもう一つ。仲裁などというものはしない。 これでどんな目に遭ったか話に書いてもいいが、簡単に言えば仲裁はお互いを敵に回しても立ち向かえるほどの強さが要る。 割って入る左右から攻撃をかわし2人をなだめることなど、できるわけがない。 そしてこの劇場に飛び入り参加したのは、2人の片割れの隣にいる女性である。 何かを一生懸命に叫んでいる。 正直うっとおしいニオイを感じさせる仲裁だ。 すると、 「静かにしてくれ、おばさん」「おばさんがしゃしゃり出てくるな」「わかった?おばさん」 などと片割れにオバチャン連呼され撃沈。 2人もすっかり興醒めという体で諍いは終了。 車内の人たちは、みな嫌な気分になっただろうが、一番トクしたのは間違いなく自分だろう。
|