28.「若気の至り」は免罪符に非ず

それは、またしても椅子取り合戦に敗れたのでつり革につかまり「自分、健康のためにあえて立っているんですよ」アピールに熱心な帰りのことだが、窓からは電車に乗り込む外国人観光客が見えると、急に虫かなんかのように逃げ出したくなってきた。

 

・”Excuse me?ペラペ~ラ ペラペ~ラspeak English?”

→「ア・リトル!」

→”Ah….”

…よくわからないが、たぶんこういうやりとりだと思う。通じただけでも奇跡。

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ご多分に漏れず、昭和の中年である自分は“外国人コンプレックス”を持つ。

英語悔しい、英語死ね、などと筋違いな憤りでいるのは一度電車の行き先を聞かれたからだ。中学英単語と身振り手振りに、卑屈な笑みも付けて全力投球だ。

そんなだから中野駅が「ナカァノォ エスティー」になる。

こういうのは、本当に堪える。

でも、まさか四半世紀経ってもウアァァァとなるとはね。

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思い出は色褪せるばかりではなく、むしろ磨きがかかるように洗練され、負の完成形になっていくこともある。

もう一生、脇をグリグリつつかれるもんだと諦めるしかない。

 

外国語=英語、外国人=アメリカ人という貧相な知的教養も何とも情けない。

何語かわからんけど英語ではない言葉の外国人たちを見かけても、自分の意識の中に変化はない。

不思議な言葉で話す人たちだなあ、くらいにしか感じない。

だが、黙ってる外国人はわからないから不安になる。

ボビーオロゴンさんは、「ガイジンだからって、英語を話せると思うなよ」と言ってたが、まだ半信半疑でいる。

 

・自分で始末できないことは止めてほしい

乗り込む前からすでにその存在を確認してしまった自分は、やっぱり隣に来てしまう不運を嘆く。

プロファイリングすると、アメリカ人という答えだ。

なぜならTシャツ姿だから。

しかし寒くないのか?

 

自分は目を閉じ、瞑想の一手だ。

向こうも隣にはいるが、そんな気配はない。

アクシデントは起きなさそう。

やれやれだ。

なのに、どういうわけか想定から外れた何かが邪魔しにかかる。

座席に座れないことが罪となり、相応の罰が下される。

なんでこんな目に遭わなければいけないのか。

 

アメリカ人たちはドアの上の鉄道路線図を見ながら談笑している。

これはもう話しかけられる可能性はない、と言ってもいいはず。

ところが、まるで昔の自分を見るようなお調子者の日本人が二人の会話に加わってきた。

道案内のつもりだろうか、一生懸命しゃべっているのだが、なんというか上手くないのだ。

 

そのせいかアメリカ人たちは困惑気味に黙っている。

お調子者は、若干ひきつった笑顔で、なお、意思疎通を図ろうと手の振りが早くなっている。

言葉の中に「ヘルプユー」が聞こえたが、いまヘルプされるべきは、キミのほうだろう。

そんな風に観察していたら、この野郎自分に話を振ってきやがった。

こんなときは軽く一言いって突っ返してしまえばいいのだが、とっさのことで気の利いた言葉が出ない。

それを見抜いたか、お調子者は「教えてあげてくださいよ」とバトンを自分に渡す。

渡されたこっちは、目を大きくただただ口をパクパクさせるだけ。

もう「ナカァノォ」で昔を懐かしんでる場合じゃない。

いまが危機だ。

それにしても、こんな横暴あっていいのだろうか。

 

・返す刀で言い返せない

ところが、アメリカ人たちは「大丈夫です」と静かな日本語で、固まっている自分に言う。

こちらはさらに目を大きくさせる。

お調子者は、お調子づいた結果でこうなったことを無視して「あー良かったですよ、良かった良かった」と得意顔で褒めてくれる。

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何かが大きく間違っている。

だが、その何かをその場で言うことができない。

言葉がとっさに思いつかないのだ。

話としてまとめられるのは、ずっと時間が経ってから。

だからいまになって、もういない相手を言い負かし、罪状を並べ立て厳格な罰を与えんとするバーチャルイメージを膨らませているのだ。

 

それはそうと、いま目の前でも想定外のことが起きているのだが…。

 

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