4.お台場ガンダム参拝に考える
・一口にガンプラ好きといっても…ガンプラが好きというと世代的にもガンダムオタクと判断されてしまう事が多いのですが、僕はそこまでガンダムに惑溺しているわけではありません。 実際、TV版はほとんど見てないです。 ガンプラ、正確にはロボットメカのプラモデルが好きなんですね。 なので完成品やフィギュアもまた専門外です。守備範囲、狭い! そして厄介なことに、作るまでと作ってる最中が僕の楽しさのピークなんです。 完成品はどうしていたのかというと、欲しいって人にあげちゃってたんですね。 もちろん何個か手元に残してありますが、譲る前提でプラモこさえてたんです。 第二次ガンプラブーム真っ盛りの時期には完成品マーケットというべきものができあがっていました。 アキバあたりのレンタルショーケースで展示販売する人もいましたし、オークションサイトでは50万円を超えるものもありました。 僕は模型店の陳列棚を使った販売代行サービスを利用して売ったりしました。 誰かが上手に作ったガンプラを買いたい人も多くいたのです。 そういう時代でした。
・異種な愉しみガンプラは「解釈」の楽しみを伴います。 アニメの中では単純化されて描かれているけど、実際に存在するならこういう機械だったはず、と。 「本物」の重心や関節はどうか。兵器としてのリアリティはどうか。 そういうSF的、工学的な解釈で遊べる余白があるんです。 架空世界の考古学とでも言いますか、機能美を軸にした再構築と言いますか。 それなりに説得力のある完成品が、アニメのヒーローとしては地味で歪であるほど「カッコイイ!」となる遊び。
お台場に建立された実物大ガンダム(初代)は、サイズがもたらす迫力にも打たれましたが、ガンダムを囲む人たちの見上げる視線やその場の雰囲気は、なんだか大仏見物に似ていました。 ありがたい仏さまを拝みに行ってる気分になったんです。 脚の間をくぐるっていうイベントも参拝気分に一役買ったんでしょうな。
・神々しき佇まい仏像は仏師それぞれが思い描いた仏の姿を刻み出すものです。 実在したゴータマ・シッダールタがどんな姿をしていたのかは知る由もないのに、2000年の間、いろんな人がたくさんの仏の姿を彫り出してきました。 巨大で素朴な石像も、精緻な彫刻を施された木像も、黄金で作られたものも、我々はすべて仏像と認識しますよね。 これ、ガンダムのプラモデルも似ているんです。 俺のイメージではこういう姿だ。 兵器としてはこれが正しい。 こういうの単純にカッコイイじゃん。 ひとつのキャラクターにさまざまな解釈や理想を投影し、頭の中にあるイメージを縮尺模型として実体化させる文化。 ね、ガンプラは仏像なんすよ(テンパった目で)。
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