
「それは何て読むの?」
男の子が聞く。
「てんしょく」
僕の読んでいた求人情報誌に、転職サイトの広告が掲載されていた。
「どいういう意味?」
「例えば君が何か仕事をしていたとする。でも他の仕事がしたくなった」
「なんで?」
「他の仕事の方が好きかもしれないと思ったからだよ。サッカー部に入ったけど、やっぱり野球の方が好きだと思ったら、野球部に入るよね。そんな感じ」
と説明する。
男の子は少し考えて言った。
「僕はずっとサッカーが一番好きだよ?」
「そうだね。そういう人もいる」
その男の子とは新幹線で知り合った。僕はその時、新卒で入社した会社を半年で辞め、一週間ゆっくりするために実家に帰っているところだった。
おそらく小学校一年生くらいだと思う。まだこんなに小さい子どもが新幹線に一人でいるので、親はトイレかタバコを吸いに行っているのだろうと思った。でも彼に聞いても、一人で来た、と言い張るだけだった。
「どっちがいいの?」
少し時間があいたので、一瞬何のことか分からなかった。
「ずっとサッカー部でいるのか、思い切って野球部に入るのか、ということ?」
「うん」
「どっちがいいと思う?」僕は聞き返した。
「んーわかんない」男の子は首を傾げた。
もちろん僕にもわからなかった。
わからないから、今僕はここにいる。
僕は適当に、「君がいいと思った方が、いいんだよ」と言って、窓の外に顔を向けた。
そのあとも男の子は、ずっと「うーん、でもなあ・・」とブツブツ呟きながら、その答えを必死に考えていた。あまりにもずっと考えているので、
「まだ考えてるの?」と聞いた。
「だってわからないんだもん。」
男の子はそのあとも、まるで新しい仮説を立証しようとしている物理学者のように、ひたすらその難題と向き合っていた。
新幹線は静岡を過ぎた。
「そうだね。分からないから、考えるしかない」窓から富士山が見えたその瞬間、何かがすっと腑に落ちるような感覚があった。富士山は息を殺して、長い間出番を待っていたのだ。
「考えるしかない」僕は頭の中で繰り返した。
お母さんが迎えにきた。ずっと探し回っていたそうで、申し訳なさそうにお礼を言われた。男の子はけろっとしていたが、あとで怒られることは分かっているようにも見えた。
「ありがとう」お母さんに促され、下を向きながら男の子は言った。
「こちらこそ、ありがとう」
男の子と母親は新幹線を降りた。
photo by おばん 財
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