22.道成寺は特別な曲――披き、連帯感

「道成寺」のプログラムを見ると、役者名に「披き」と書き添えられていることがある。

その役者が、この曲を初めて演じるという意味なのだが、どんな曲でも「披き」と断るわけではない。

 

・「披き」とは? 

習い(師匠から特別な伝授を受ける)とされる大曲を、初めて演じることを「披き」という。

具体的には、シテの場合、「石橋」「道成寺」「猩々乱」「翁」「望月」「姨捨」など、ワキでは「張良」「道成寺」「隅田川」など、狂言方なら「釣狐」「花子」など、そして囃子方はシテとほぼ共通と、それぞれ決まった曲がある。

こうした大曲を修業の段階に応じて披くことにより、能楽師として成熟していくわけだ。

 

「道成寺」はシテ、ワキ、囃子方(特に小鼓)にとって披きの曲となっているが、中でもシテにとっては、「これを披いて初めて能楽師として一人前と認められる」という大きな節目となる曲。

もちろん、二度目、三度目の舞台でも、特別な思いで挑戦しているはずなので、そこを心得ると、観る側としても俄然緊張感と期待が高まってくる。

 

・役者全員が特別な思いでシテを支える

「道成寺」という曲は特殊な演出に満ちていて、そもそも70キロの大鐘からして尋常ではない。

この大鐘に命がけで飛び込むシテを、ワキやアイ、囃子方、そして後見たちが、これまた命がけの思いで支えるわけで、この曲ほど役者たちの連帯感が高まる舞台はないという(☆)。

 

十六世喜多六平太師も、「シテのために一生懸命になってくれる人の数やその協力の質が、やっぱり他の能とはくらべものにならないんですね。そういう、いろいろな人の力によって舞台に立っているってことを、本当にしっかり感じるのが」道成寺の披きなのだ、と語っている(☆☆)。

 

こうした役者たちの特別な思いは、すべての役に見せ場がある「道成寺」だからこそ存分に生かされるわけで、観る側も気を抜ける場面がない。だから鑑賞後の充実感もひとしおなのだ。

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・八田達也師の披き

私自身が「道成寺」を観たのは、これまでに5回。

それぞれシテを演じたのは、橋岡久太郎師、八田達也師、梅若六郎師、木月孚之師、馬野正基師で、橋岡師と八田師は「披き」だった。

とくに「披き」のお二人の舞台は素晴らしくて――もうずいぶん以前のことになるが――いずれも気持ちよく酩酊したような心地になって帰途についたものだ。

 

で、八田師のプログラムを見るとご自身のメールアドレスが記されていたので、お能に酔った(?)勢いで感想メールをお送りしたら、ご丁寧に礼状をいただいた。

それは特に私への返事として書かれた文面ではなく、多くの方々に送られた礼状だったが、舞台裏で周囲の方々に励まされた様子や、ご自身の演技についての反省、自己批評などが綴られていて興味深かった。

確か「鐘入りの着地で少し足をひねった」と書かれていたと記憶するが、後場の蛇体の演技は、そんなことを微塵も感じさせない迫力だった。

 

☆観世喜正監修 DVD・能『道成寺―赤頭』日本伝統文化振興財団、2008年

☆☆山中玲子「『道成寺』を披く」(『別冊太陽79 能道成寺』1992年)

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