23.道成寺の見所① 鐘を吊る

お能の始まりには、まずお調べ(幕の内で笛や鼓を鳴らす音)が聞こえくる。

それから囃子方が橋ガカリを通って、地謡は切戸をくぐって出てくる。

囃子方も地謡も、普段なら黒紋付きのいでたちだが、「道成寺」の舞台では裃(かみしも)をつけている。

これもまた、この曲の格の高さを示すものだ。

それから、この能の象徴と呼ぶべき大鐘が登場する。

 

・道成寺のためだけにある設備

能舞台には「道成寺」のためだけに備えられた、鐘を吊り上げるための装置がある。

天井にある滑車と、笛柱に付いている環(金属の輪)の二つ。

この実にシンプルな最小限の設備で美しく鐘を吊るのだ。

▼能舞台の図

23_図

・狂言方とシテ方の鐘後見

大鐘をあつかうために、「鐘後見」という特別な後見が登場する。

狂言方の鐘後見と、シテ方の鐘後見がいて、それぞれきっちり役割分担ができている。

 

まず狂言方の鐘後見が、竹ざおに吊した大鐘を、四人がかりで舞台に運び出し、舞台中央(天井の滑車の真下)に置くと、今度は二人で組んで、先に金具の付いた長い竹ざおを操り、鐘に結びつけてある綱を天井の滑車に通す。

そして、その綱の先端をシテ方の鐘後見に渡すのだ。

 

ここで鐘の管理は狂言方からシテ方へバトンタッチ。シテ方の鐘後見が綱を笛柱の環に通し、鐘を吊り上げて固定する。

 

・上掛かりと下掛かりの違い

鐘を吊る動作はどの流派も基本的には同じなのだが、上掛かり(観世流と宝生流)と下掛かり(金春流、金剛流、喜多流)では、その演出が少し違う。

 

上掛かりの場合は、上記のようにまず鐘を設置して、それから能が始まる。

一方、下掛かりでは、囃子方と地謡が座につくと通常通りワキが登場して能が始まる。

そしてワキ(住僧)がアイ(寺男)に「鐘を鐘楼に上げ候え」と命じてはじめて、アイと狂言方の鐘後見が鐘を舞台に運び出してくる。

つまり能の中で、鐘を上げることになっているのだ。

 

・強烈な感情が込められた、巨大なエネルギーの象徴

人間国宝の大蔵流狂言師・山本東次郎師は、「道成寺」の鐘について次のように語っている(☆)。

 

鐘を吊るのは大道具のセッティングではなく、演技の一つであるから「型」で演じなければならない。

必ず片膝を立てて座した姿勢で吊るのが型で、もちろん立って吊った方がずっと楽だが、観客に対して少しでも鐘を大きく見せるために座ったまま吊るのだ、と。

 

実際、二人の狂言方が鐘の左右に座し、長い竹竿を使って綱を天井の滑車に通すのだが、ここで座して作業する型にも、こうした意味があるわけだ。

なるほど、伝統とはすごいものだと、改めて思う。

 

さらに山本師は言う。

鐘は単なる作り物ではなく、恨み、悲しみ、愛しみ、憎しみといった強烈な感情のすべてが込められた、巨大なエネルギーの象徴だ。狂言方が始めに鐘をどのように取り扱うかによって、一種独特の緊張感をはらんだ、この能の雰囲気が決定されると言って過言ではない。

 

そうなのだ。

ただ大きな重たい鐘を持ち込んだからといって、スペクタクルになるわけではない。

三島由紀夫は「能舞台の空間には、大きな紫緞子の鐘が重たい苦悩のように静まっている」と表現したそうだが、この大道具を苦悩やエネルギーの象徴とするのは、役者たちの演技にほかならない。

 

☆山本東次郎「強烈な感情が込められた鐘。これをどう吊るか」(『別冊太陽79 能道成寺』1992年)

 

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