5. 農産物の食品工場で働いている

高校を卒業して、私は地元で生産された食材を加工する会社に就職し、卵のパック詰め作業をする現場に配属された。農場から卵が届いてから出荷するまでには様々な工程があり、私は汚れたり割れている卵を取り除く仕事をしている。
食中毒が発生しないように、私たち職員は皆、徹底した衛生管理が求められる。女性なら髪型やネイル、ピアスなどでお洒落を楽しみたいところだが、私たちにそれは許されない。一人でも多くの人たちに安全で美味しい食品を届けるため、必死で働いている。
体力がない上に太っている私にとって、立ち仕事は大変だが、スーパーに買い物に行って、自社ブランドの卵を買い物カゴに入れてくれるお客さんの姿を見ると、頑張って良かったととても誇らしい気持ちになる。親戚が集まったときなどに「いつも卵買ってるよ」と言われると、努力が報われたようでとても嬉しくなる。私が会社から買ってきた卵で卵かけご飯を食べるときだけ、父は自作の特別なお茶碗を使う。父が「美味い!!」と言って私の会社の卵を食べてくれるのを見ると、なんだか自分が褒められたような気分になる。
鶏は毎日産卵するので、私の会社にはお盆も正月もない。まとまった休みがないことを嫌だと思うこともなくはないが、こうやって消費者の顔が見え、消費者の声が聞こえることが、いまの私の幸せだ。

ADHDの私が健常者に混ざって、一般企業の正社員として働くことは、自分はもちろん、私を指導してくれている先輩にとっても大きな負担になる。先輩は私がADHDであることを知らないから、物覚えも要領も悪い私を相手にすればだんだん声も大きくなるし、私もそうやって叱られることに負けて、一時期、会社に行けなくなってしまった。
しかし、会社はそんな私を見捨てず、自分から復帰したいと思える日まで私を待ってくれた。もうとっくに仕事を失っていてもおかしくない私だったが、今はこうして入社2年目を迎え、後輩に仕事を指導する立場にもなれた。
その陰には、家族みんなの支えと協力がある。毎月、電車の定期券が切れる日には、私が間違いなく定期券を更新できるよう、駅で待ち合わせをして見守ってくれる父がいる。私が朝、準備が間に合わなくて遅刻しそうになったとき、自分も私とは全く別方向の職場に出勤しなければならないのに、私を会社までクルマで送り届けてくれた母がいる。私の家から会社までは、途中で電車を使うほどの距離なのに、電車を降りてから会社まで徒歩で行くのはその後の立ち仕事が大変だろうと、家から会社の最寄駅まで自転車を漕いで運んでくれた弟と妹がいる。普段はつい忘れがちだけれど、私は家族にとても感謝している。

一時期、会社に行けなくなった私に、父はこんなことを言った。
「パパは一人の社会人でもあるし、お前という人間を19年間見続けてきた父親でもある。社会人の先輩としての立場からお前を見ると、全くダメだしこんな人間が雇われ続けていることを不思議にすら思う。だけどお前の父親としては、朝早くから出勤して毎日クタクタになって帰ってくるお前を誇りに思うし、お前が自分の限界を超えて死にもの狂いで頑張っていることは他の誰よりもわかっている。だからパパはお前が目の前の現実から目を逸らして逃げようとするならばこれからも厳しく叱り続けるが、そうではなく前を見よう、前に進もうとする限り絶対にお前を支え、お前の苦しみの受け皿になる。もし今後、お前が力尽きそうになったり自分が嫌になったときは、こんなことを言ったら嫌われるんじゃないかとか思わず、どんな汚い部分でも遠慮なくパパに吐き出しなさい。そうやって人間のズルかったり汚かったりする部分を吐き出すことで心が浄化され、前を見ることができるなら、それは意味のあることだから」
社会の海に溺れそうになり、必死にもがいていた私にとって、とても胸を打つ言葉だった。時としてとても厳しい父親で、その厳しさが私を追いつめたこともあったが、この話を聞いて心から涙した。
仕事を休んでいる間、父は私に毎日たくさん話をしてくれた。そしてある日ふと、湯船の中で「会社に戻りたい」と思えた。お風呂から上がり、「パパ、私、会社を辞めるのをやめる。もう一度頑張ってみるよ」と言うと、父は嬉しそうな顔をしながら、ぼろぼろと涙をこぼした。

ひいばあちゃんはもう、昔のように畑仕事はできない。ひいばあちゃんの畑からは、もう何の野菜も収穫できない。でも、あの畑で育ったものは野菜だけではなかった。小学生の頃にあの畑に蒔かれた種は、何度も挫折を繰り返しながら、厳しい練習に耐えて歌を唱い、花に憧れ、牛を育て、命というものを考え、人よりだいぶ遅いペースではあるけれど、どうにか私という一人の社会人として実りつつある。
いま、私の中にある大切なもの。この小さな実は食べられないけれど、私の足元を照らす小さな灯りとなって、これからも私に勇気と力を与えてくれると信じている。
この「勇気の実」が育つ畑はきっと誰もが持っている。でも最初から土や肥料があるわけではない。好きなこと、頑張りたいこと、夢や目標を見つけたときに初めて耕され、何かが育つ土壌となる。
そこにやっと芽吹いた何かが、もし強風に倒れてしまっても、もう一度しっかりと根を張り、前を向こうとすれば、きっと近くにいる誰かが助けてくれる。人とは、家族とはきっとそういうものだ。

私のこの手記が、果たしてどれほどの人の目に触れるかはわからない。でももし、いつか誰かの目に留まり、その人を励ましたり、元気づけることができたとしたら、それこそが私の生きている意味だと思う。
私自身、これからもきっと挫折を味わい、しゃがみこんでしまうことがあると思う。でもそんなときは、こうして作文を書いたいまの気持ちを思い出し、また少しずつ、歩いていきたい。

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