4. 中学・高校の思い出

小学校が終わろうとするころ、私にもやっと一人友達ができた。中学ではその子と一緒に合唱部に入った。
その合唱部は、全国大会の常連で、常に上位入賞を果たしていた。
それほどのところなので、顧問の先生も先輩も厳しく、誰もが人としてとても立派で驚いた。
入部して初日に全員の前で校歌を唱わされた。歌が好きなだけで合唱の経験のない私は、適性がないからと、顧問の先生から他の部活に移ることをその日の内に勧められた。
まさかこんなにも早く挫折を味わうとは思わなかった。しかし、ここで逃げてはいけないと思い、合唱部に残ることにした。

合唱部を選んだのは、部活動紹介での素敵な演奏に魅了されたこともあるが、実をいうと運動が苦手なので文化部でいいやと楽な道を選んだつもりだった。しかし、練習はとても厳しかった。合唱部だからといって歌だけ唱っていれば良いというわけではなく、腹式呼吸のための腹筋や体幹のトレーニングは、とても「文化部」という文字からは想像できないほどハードなものだった。
多くの部員たちは、一年生のうちにステージで演奏することを許されたが、何をやらせても不器用な私は、三年生になるまで公式のコンクールではステージに立たせてもらえなかった。
三年生のあるとき、ようやく公式のコンクールのステージに立つことを許され、鹿児島県での全国大会で演奏をしたことは、中学時代の私の一番の思い出だ。
初めて合唱部を訪れたあの日、いきなり適性がないと門前払いを食らってショックだったが、いま振り返ってみれば、そこで「はいそうですか」と諦めてしまうような人では、厳しい練習に耐えてステージに立つことなどできない、という意味だったのかもしれない。

中学を卒業した後は、農業高校に通った。
私の高校生活は、花、野菜、果物、米、家畜といった農業全般の魅力に触れ、福島の素晴らしさを体感しながら過ごした3年間だった。
花の分野で印象的だったことは、カーネーション販売会とシクラメン販売会。これは、生徒たちが栽培した花を学校で販売するイベントだ。
地元では有名で、朝早くから行列ができる。一人が購入できる鉢数を決めないと、すぐ完売となり買えない人が出てくるほど人気がある。祖父が一度、シクラメンを買いに来た時があるが、その混み具合にとても驚いていた。
野菜の分野では、トマトやスイカ、ナスなど様々な野菜を育てた。一年を通して生産できるように、ビニールハウスで水耕栽培をしていた。収穫してリヤカーに乗せ、売り歩くのもとても楽しかった。
果物の分野では桃、梨、リンゴを栽培した。実習が終わった後に賄いとして樹からもぎ取って食べる果物は、新鮮でとても美味しかった。
特に、ムラなく真っ赤に色づいたリンゴは私の大好物で、また、母に頼まれて放課後に買いに来たこともあった。
米の分野では、田植えから稲刈りまでの行程のほとんどを体験し、収穫期に豊作を祝ってカレーパーティをした。もちもちとした新米に大鍋で作ったカレーを盛り、鶏舎から産みたての卵を頂いてカレーに混ぜて食べた。
畜産の分野では、牛と鶏を飼育している。私は牛のコースを選択した。
出産に立ち会い、仔牛の世話をして、スマホで写真を撮ってはインスタグラムにアップした。競りに送り出すまで、様々な命のドラマを観て、感動に包まれることがたくさんあった。

この高校を選んだのは、最初は私の学力では家から通える範囲には他に選択肢がなかったからであり、特に農業に興味があったというわけではなかったが、福島駅東口に設置してある花時計がこの学校の生徒によって作られたものだと知ってからは、どうしてもこの学校に行きたいと思うようになった。
それほどにこの花時計は素敵で、見るたびに心が癒され、勉強その他の普段のストレスを和らげてくれた。そのうち花の魅力にすっかりとりつかれ、中学を卒業する直前に作った学級文集に、私は将来の夢として花屋さんになりたいと書くほどになっていた。
しかし、前述のとおり私は繁殖肉牛を専門に学ぶ班に所属した。なぜ花の分野から程遠い、畜産という道を選んだのか。牛は大きくて暴れたら怖いし、糞尿は臭い。飼育となれば、ボロを片付けたり餌を与えるために、朝早く登校しなければならない。
それでも繁殖肉牛を専攻したのは、特別な想いがあったから。自分が好きなことの原点とそれに関わる人たちの想いを知りたかったから。
私はお肉を食べている時が一番幸せを感じる。だから大好きなお肉がどのように生産され、農家の方は何を想いながら肉牛の生産をしているのか、興味を抱くようになったから。

生き物を扱う授業だから、暑い日も寒い日も、どんなに天気が悪かろうとも毎日のように実習があった。
牛を可愛いと思うと同時に、最後には食べられてしまうのかと、可哀想に思うときもあり、複雑な気持ちだった。
その複雑な気持ちのモヤモヤしたものを放置できず、私はたくさん考えた。すると、そのモヤモヤした気持ちは誰にでもあることがわかった。
誰もが美味しいと言ってお肉を食べている。それは、家畜たちに対してどうでもいいと思っているわけではない。誰だって、最後には殺される家畜たちを可哀想に思うはずなのだ。だけどこれは自分が生きていくために仕方のないことなのだと、うまく消化できていないのにそこで割り切ったつもりになって、それ以上考えることをやめてしまう。だから未消化の部分が、どうもモヤモヤしてしまうのだ。
では、私たち消費者が家畜たちに何か償ってあげられることはないだろうか。それは、意外とたくさんあり、そして誰もが知っていることでもある。
一つは、最高に美味しいと思って食べること。人という身勝手な生き物の血肉となるのだから、不味いと思われるのは不幸。だから美味しく調理して残さず食べ、食べることそのものを楽しみ、命の恵みに感謝することだ。
二つ目は、手を合わせて「いただきます」と言うこと。声に出さなくてもいい。ちゃんと心の中でそう唱えることだ。「いただきます」は食事を用意してくれた人への言葉でもあると同時に、命を差し出してくれた家畜たちに対し、「あなたの命を頂きます」と冥福を祈る意味も込められている。だから私たち日本人は小さいころから、「いただきます」のときは仏様にそうするのと同じく、手を合わせるよう躾けられてきたのだ。このことを父から教えられたとき、私は目から鱗が落ちる思いだった。モヤモヤしたものがパッと晴れたような気がした。
三つ目は、飼育者が日々、手塩にかけ精一杯の愛情を込めて育て上げ、その陰に厳然として存在する業を背負う覚悟を持つこと。
生まれてきた仔牛が、母牛と過ごせる時間は少ない。だから仔牛は、我々人間を母親だと思って育つ。母親だと信じ、絶大な信頼をおいていた人間に、最後には裏切られ命を奪われるのだ。何がどうなっているのかわからない、なぜこんな目に遭うのか理解できないまま、彼らは命を落とす。それまで与えられてきた愛情が、実は偽りであったことを知り、自らの生い立ちやそれまで大好きだった人間を呪いながら死んでいくのだ。成仏などとてもできるはずもない。
家畜に懐かれたり、名前をつけたりすると、最後に彼らを裏切らざるを得ない、いや、最後に裏切るために育てていることがとても辛くなる。だから敢えて私の母校では、生まれた牛に名前をつける。死にゆく家畜たちの何百分何億分の一にも満たない苦しみかもしれないが、それを背負うことで自らの業と向き合うために。
家畜たちを競りに出し、お別れをするまでが私たちの課題だ。愛情を込めて育てた牛とお別れするのが、どれだけ辛いことかを私は知っている。高校生だったあの日、久しぶりに人前で大粒の涙を流して学んだこと。その心の痛みを私は生涯忘れない。農業高校に通った以上、そうでなければ私に、今後お肉を美味しく食べる資格はない。

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