3. ひいばあちゃんがいる

私のひいばあちゃんは、90を過ぎている。
足や腰が衰えてあまり出歩けないし、耳もすっかり遠くなってしまった。腰が曲がりすぎて普通の杖は使えず、500mlのペットボトルを杖代わりにして家の中を歩いている。最近は色々と忘れっぽくなり、同じ話を何度もするので、まるで録音を聞いているようで面白い。
毎週、月曜日と木曜日のデイケアサービスに行くことをとても楽しみにしていて、作った作品の塗り絵や折り紙などをとても嬉しそうに見せてくれる。
年寄りだから早起きだ。朝四時を過ぎると起床して、トイレに行き、いつもの生活が始まる。手の運動をして、できるだけ長く健康でいたいと言っていた。
庭の草むしりをしながら、家に遊びにくる野良猫に餌を与え、お話をするそうだ。
にこにこしながらそんなことを話すひいばあちゃんは、純粋な子供のようでとても可愛らしい人だ。
夕方になると家に戻り、テレビで相撲を見る。あわせて天気予報もしっかり確認し、ボケてしまわぬようにと、毎日気温や天気をメモ帳に記録しているという。毎日欠かさずブログを書いている人と似ていると思った。

今ではすっかり衰えてしまったひいばあちゃんだが、私が小学生の頃はまだ元気で畑仕事もしていて、夏休みになると従兄弟たちが集まって、泥だらけになりながらひいばあちゃんの畑でジャガイモ掘りをしていた。
汚れても良いようにボロボロの服を着て、手作りの手差し(腕カバー)を着け首にタオルを巻き、虫除けスプレーを全身にかける。今思うと笑ってしまうような格好をして、みんなで畑に向かった。
鍬で畑を掘り起こすとジャガイモに傷がついてしまうので、小さな移植ベラで慎重に捜索し、ジャガイモの姿が見えたら、手で丁寧に掘り出す。大きいものから小さいものまで、誰が一番たくさん掘れるかを子供たちで競った。
福島の夏は暑く、タオルで汗をいくら拭いても、汗が滝のように流れてくる。隣の畑ではトウモロコシを作っていて、これも一緒に収穫していた。私はジャガイモ畑のミミズは大丈夫だけれど、トウモロコシに付いている虫が苦手で、きゃーきゃーと叫びながら収穫していた。
汗水流して収穫した農作物は、ひいばあちゃんが手塩にかけて育てたということもあり、ほっぺたが落ちるとはこのことかと思うほど美味しい。
ジャガイモは電子レンジで加熱して切れ込みを入れ、そこにバターを落として塩か醤油を垂らして食べると最高に美味しかった。
茹でたての鮮やかな黄金色のトウモロコシに齧りつくと、口の中いっぱいに甘みが広がった。
他にも、キュウリやナス、トマト、インゲン、サツマイモ、かぼちゃなどたくさんの野菜が、ひいばあちゃんの畑から収穫できた。
私は採りたてのキュウリを氷水でキンキンに冷やして味噌とマヨネーズをつけて食べるのが大好きだった。
ひいばあちゃんは、畑で採れたナスでぬか漬けを作っていた。ある日、私たちが「お腹が空いた。おやつが食べたい」と言うと、ひいばあちゃんは羊羹とぬか漬けを持ち出し、それを見た私たちは大笑いをした。ひいばあちゃんが子供の頃は、おやつに漬物は普通だったらしい。
トマトは野菜の中で、私が一番好きなもの。甘みと酸味のバランスが絶妙で、某スナック菓子のCMで聞く「やめられないとまらない」とはきっとこういう事だと思った。
インゲンは噛むとキュッキュとなるのでちょっと苦手だが、父が豚バラを巻いて庭で七輪で焼いているのを見たら、めちゃくちゃ美味しそうでたくさん食べてしまった。
サツマイモは茹でたりスイートポテトを作ったりした。私の母はスイートポテトが得意で、バターをたっぷり効かせた優しい甘さは、食べるとほっこりとした幸せな気分になる。
かぼちゃは天ぷらもいいけれど、小豆と一緒に煮て冬至かぼちゃにするのが好き。実は小学生のころはちょっと苦手だったのだが、今では大好物。
ひいばあちゃんの畑は、私たちにとって最高の宝箱だった。

後でまた詳しく書くが、私は社会人になってから、しばらく仕事を休んでしまった時期がある。その間、毎日ひいばあちゃんの家に通い、プチ介護のようなことをした。
その時に、ひいばあちゃんが私にこんなことを話してくれた。
「いつ死んでもおかしくないくらい歳をとって衰えてくると、いつ死んでもいいように何事にも本気になれる。だから明日死んでも後悔しないように、どんなに体が不自由になっても、出来ることは自分でやる。お前は若いが、残された時間の長さが違うだけで、人として何が大事かに違いはない。だからお前もいつ死んでも後悔しないように、前を向いて強く強く生きなければいけない」
普段、にこにこしながら他愛ない話をするひいばあちゃんが、こんな真面目な話をしてくれたのは初めてだった。厳しさに負けて仕事に行けなくなってしまった私に、ひいばあちゃんは優しくそして厳しく、大切なことを教えてくれたのだと思う。

私は大人数が集まっているところに割り込んで、何かをしようとはしない。私が行くと、和を乱してしまうからだ。
親戚のみんなで花火をしていても、人が群がって盛り上がっているところには混ざらず、一人もしくは少人数のところで静かに楽しむ。台所でみんなで料理をしているときも、私はいつも、一人だけ別の部屋で違うことをしていた。なので、ひいばあちゃんは私の手料理を食べたことがなかったし、私に料理ができるなどとは思っていなかった。
ひいばあちゃんの家に通う中で、最初は掃除をして洗濯物を干したりするだけだったが、そのうち料理を作ろうとすると、お前にできるのかと心配された。
手が痛くて、コップに水を汲むのも一苦労なひいばあちゃんに、何か料理を作って喜んでもらいたかった。その日から私は、ハンバーグやカレー、麻婆春雨、味噌汁、チャーハン、ウインナーと玉ねぎの鶏ガラスープなどを振る舞った。
ひいばあちゃんはあまり好き嫌いがない上、年のわりに結構な量を食べるし、年寄りなのに洋食でも喜んで食べる。私がこしらえたものも、ヨボヨボの唇、少ない歯でしっかりと食べてくれた。
全体的に柔らかくしないと噛むことができないかもしれないから、ハンバーグは蒸し焼きにした。
カレーの具は小さめに、味が染み込みやすいように斜めに刃を入れた。
麻婆春雨は、なるべく飲み込みやすいよう、春雨をあらかじめ包丁でザクザクと刻んだ。
味噌汁は、まろやかな風味と整腸作用、老化防止や免疫力の向上を狙って隠し味にヨーグルトを入れた。
ウインナーと玉ねぎのスープは、ウインナーを薄く切って、玉ねぎが柔らかくなるまで加熱した。鶏ガラの臭みをなくすために、あらかじめガラにお酒と塩コショウをなじませてから鍋に入れた。
ひいばあちゃんは、私を料理できないひ孫と思っていたので私の料理に驚いていたし、美味しいと言ってもらえて私もとても嬉しかった。

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