2. 注意欠陥多動性障害(ADHD)という病気

私は平成9年の秋、みんなに愛され長女として生まれた。しかし、少しずつ成長していくにつれ、人と違うことがわかった。
空気の読めない自分勝手な行動が目立ち、友達ができない。これは、小さいときから今まで、ずっと私を苦しめている注意欠陥多動性障害(ADHD)という病気のせい。

人間の頭の中では、誰でも自分で気づかないような衝動が常に湧き起こっていて、それを前頭葉が抑え込んで、理性ある行動につながっている。でも、この病気の人は前頭葉がうまく機能しないときがあり、その出方は人によるけれど、次のような問題行動が見られる。
・授業中であっても構わず歩き回ったり、静かにしなくてはいけないときに大声を上げたりする。
・誰かにちょっとぶつかられただけで攻撃されたと思い込み、腹を立てて乱暴になったり、あるいはいじめられたと思い込んでふてくされてしまう。
・自分の話ばかりして人の話を聞かなかったり、悪気はないのに友達の和を乱したりして、周囲の反感を買うことが多い。
・興味を持ったことにしか集中できないため、好きな科目は勉強して良い点数を取るが、そうでない科目は全く点数が取れない。
・忘れ物や無くし物が多く、また、ぼーっとしていて人の話を聞いていないため頼まれた仕事がこなせず、そのことで叱られることが多い。
・細かいことに注意が及ばないので、職場や家庭でもミスが多く、約束を忘れたり、時間に遅れたり、締め切りを守れなかったりする。
・多くの情報を取り入れ整理することが困難で、一度に多くの指示や長い説明をされると何を言われたのかわからなくなる。
・手間や時間がかかりそうなもの、面倒なものを後回しにし、そのまま忘れてしまう。

こんな私なので、幼稚園のときから遠足で友達と一緒にお弁当を食べたことがない。いつも一人でいる私を見かねて、先生が一緒に食べようと誘ってくれた。
小学生になっても相変わらず友達ができず、近所の子たちは私の顔を見ると逃げてしまうので、登下校時はいつも一人ぼっちだった。トボトボ歩きながら、誰か一緒に帰る人はいないかと、度々後ろを振り返り、溜息をつく。仲良さそうに会話をしながら歩いている人を見ると、孤独感が増して涙がこぼれ落ちた。
一緒に帰る人がいないと、私が衝動的に通学路から外れてしまっても、そのことを誰も知らないので、夕方暗くなっても帰ってこない私を心配して、母は背中に妹をおんぶし、弟の手を引いて毎日のように私を探して歩いた。その辺の草むらや公園で道草を食っていた私を母は当然叱り、私もそのときは悪いことをしたと理解するのだが、次の日になるとまた、衝動に負けた自覚もないままに私は同じことを繰り返した。
一年生のある冬の下校時、いつものように一人で地下道を歩いているときに、公然わいせつの被害に遭った。誰かと一緒に帰っていたら、きっとこんな目には遭わなかったのに・・・。
私はいつも孤独で寂しかった。

この病気がわかったのは、小学校一年生の時の担任の先生のおかげ。たまたまその先生が私たちを見てくれる前に受け持ったクラスに、私と症状の出方は違うけれどやはり空気の読めない子がいて、その経験があったので「娘さんはADHDかもしれない」と母に伝えてくれて、私の心療内科での受診を勧めてくれた。
こういうことを児童の親に伝えるのは、場合によっては「うちの子の頭がおかしいというのか!」と怒り出す親もいるからかなり慎重にならなければならず、なかなか伝えにくいことらしいが、さすがに公然わいせつまで起こってしまっては、そのままにはしておけないと思ってくれたようだ。
その勧めに従い病院でADHDと診断を受け、薬を飲み始めた。薬が全く効かない人もいるそうだが、幸い、私には効果があった。でも、ADHDの私は「あとで飲もう」と思ってそのまま飲み忘れてしまったりすることが多く、大人になった今でも日頃からミスが絶えない。

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