3.物干し竿 その1

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物干し竿を持っている人がいた。

どういう理由があってかは分からないが、彼はその山手線の車内で物干し竿を持っていた。彼は別に持ちたいから持っているのではなく、どちらかというと持っていなければならない理由があるように見えた。そんな光景は、僕にあることを思い出させた。

僕はその時、靴べらだけを持って山手線に乗った。靴べら以外に持っていたものといえばSuicaくらいのもので、文字通り、僕は靴べらだけを持って山手線の車内にいた。

それは僕が今の家に引っ越して来た次の日のことだった。僕は当時、鶯谷に住んでいた。山手線で乗降者数が一番少ないこの駅の近くで、知人の持ち家を使わせてもらっていたのだが、急遽、その家を取り壊すという、覆ることのない決定が言い渡された。どうしたものかと途方に暮れていたが、何もしなければ家がなくなることだけは確かだったので、必死に次の住みかを探した。そして今この文章を書いているこの家(新宿駅というシロナガスクジラの裏側で、ひっそりとおこぼれを狙うコバンザメのようなこの家)に巡り会い、すぐに引っ越すことになったのだ。

本当に急な引っ越しだったので、作業は全て自力。かなり疲れたが、なんとか全ての荷物を運び終えた。しかし次の日、ふと前に住んでいた家の玄関先にかけてあった、靴べらを持って来ていないことに気づいた。別に靴べらくらい置いて残してきても文句を言われることはないのだが、なぜかその靴べらを取りに行った方が良い気がしたのだ。鍵はまだ返してなかったので、コートを羽織り、鶯谷に向かった。そしてその帰り、僕は靴べらだけを持って山手線に乗ることになった。

 

以上が僕が靴べらだけを持って山手線の車内にいた理由なのだが、僕が言いたいのはそういうことではない。そんな理由なんかに誰も興味がないことはわかっている。僕が言いたいのは、引っ越しをするときに出くわす、さまざまな思いもよらないものについてだ。特に、記憶の中で気づかないまま失われてしまっていたもの、例えばあの日消えたチョコパイだとか、外国の硬貨だとか、かつて夢だったものとか、そういった類のものについてだ。

靴べらはさておき、僕が物干し竿を見て思い出したのは、ある一枚の手紙のことだった。

 

その引っ越しの準備をしているとき、そこに引っ越してから一度も開けていなかった大きなプラスチックケースを開けた。卒業証書や携帯電話の空き箱、数珠といったような、「使わないが捨てないものたち」がそこには入っていた。写真のアルバムが五冊入っていて、その中の一冊のページをめくると、容易にあの頃へタイムスリップすることができた。タイムスリップした僕は現実時間を忘れ、長いあいだ時空を漂っていた。

 

一枚の手紙が落ちた。それは僕を凄まじい引力でひきつけた。それは僕が上京する日に、当時付き合っていた彼女からもらった手紙らしかった。表紙には、「拓土さんへ。」と書かれていた。

 

もうすでに、僕の手は震えていた。身に覚えがないのだ。もちろん僕が忘れているだけなのだが、どんな時でも—たとえ僕の友達や親の前でも—僕のことを「拓土」と呼んでいた彼女の、何か特別な想いを感じた。

 

彼女とは7年間付き合った。僕にとって一番長い期間付き合った女性ということになる。高校生のときから大学生、社会人になるまで僕らは一緒にいた。何回か別れという「形」をとることもあったが、お互いに、そんな「形」はすぐに解消されるとわかっていた。でも僕が役者になるために上京すると言い出してから、彼女は時々泣くようになった。むしろ楽しい時ほど、彼女は大きく、深く泣くようになった。泣き止んでも、その深いところにある悲しみの芯のようなものは取れていないことを僕はわかっていた。

結局彼女が本能的に予知したように、僕が上京してしばらくして、僕たちは別れた。彼女に別れを告げた時、意外にも彼女は泣かなかった。いつも通りの会話をし、電話を切った。それから彼女のことはほとんど考えたことがなかった。

photo by J.K.Wang

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