第4話スタメン落ち

2010年6月14日。

南アフリカワールドカップ初戦。日本代表対カメルーン代表戦。そのグラウンドに日本のエースナンバー10の姿はなかった。

アジア最終予選も含め、チームの中心として君臨していた中村俊輔選手は、直前の親善試合で足首を痛めてからコンディションを落とし、さらには大きな戦術変更もあり、土壇場でのスタメン落ちとなった。

結果として、ポゼッションを捨て、より守備的に戦うこの戦術変更は功を奏し、格上カメルーン相手に1-0で勝利した。

その後も、エースの出場は、決勝トーナメント1回戦含む計4試合を通じて、グループリーグ第2戦の対オランダ戦において後半64分から途中出場するにとどまった。

中村選手は、チームに帯同しながらほとんど出場機会を得られなかったこのときのことを振り返ってこう語っている。「耐えるのつらかった」「きつかった」と。

奇しくもその一ヶ月前、家庭内というチームの中でこれまた中心選手(だったつもり)からスタメン落ちした選手がいた。かくいう私だ。

2010年5月16日。

我が家に待望の長男が生まれた。ワールドカップイヤーに生まれるなど、縁起がいいじゃないか。

そして、妻が里帰りをしている隙に、私は友だちを呼んだり、先輩の家に転がり込んだりしてワールドカップ観戦に明け暮れた。

子どもが生まれる前とあまり変わらぬ日常。私は(自己)中心選手として、家庭を省みることなくやりたいことをやりたいようにやっていた。

しかし、里帰りから妻と長男が帰ってきてからほどなくして、自分がすでに中心選手ではなりえないことに気づかされる。

これまで私の好きにやらせてくれていた妻の意識はすべて長男に向けられ、私はそのサポート役に回ることを余儀なくされた。

もちろん、私にとっても待望の息子だったわけだが、毎日の育児となると生まれる前に抱いていた想像をはるかに越える地味な仕事の繰り返しであることに気づかされる。

そして、「家庭内にいると自分のやりたいことができない」と、私は仕事やらサッカーやら理由をつけては事あるごとに外出を重ねるようになった。

一方の中村選手はどうだっただろうか。皆さんのご記憶のとおり、彼はスタメン落ちという苦しみを一人背負いながらも、チームの中ではレギュラー時と変わらず振る舞い、控え選手として、レギュラーメンバーにタオルやドリンクを渡したり、積極的にアドバイスをしたりと、あくまでもチームの勝利への貢献に徹した。

心の内側には、地獄の苦しみを抱えながら…。

当時は、中村選手の振る舞いをあくまでも一サッカー選手としてでしか見ることができなかったが、数年後、転職前の有給消化中に、妻に代わって一ヶ月ほど家事育児を一人でやることによって、私はようやく気づかされた。

その繰り返しの大変さに。

そして、どのような立場であろうと、どのような役割であろうと、チームとして最大限貢献することに対する意識が高まった。

おむつ替え、入浴、抱っこ、掃除、着替えなどなど、誰でもできるような家事育児を自ら率先して引き受けることで、少しずつだが、花木家というチームもまとまってきたように思う。

そして、結果として、自分自身も少しずつチームの中での居場所を再構築できた気がする。

もし、この記事を読んでいる新人パパがいたとしたら、ともすると7年前の私と同じような想いを抱いているかもしれない。

「それは、俺の役目じゃない」と思っているかもしれない。

そんなときはぜひ、あのマンチェスターユナイテッドを震撼させるほどの左足を持った男が、ベンチからレギュラー選手にジャージやらタオル、ドリンクを渡していた姿を思い出してほしい。

そして、その声なき頑張りこそが、チームを陰ながらベスト16に導いたことを忘れないでほしい。

今、新天地のジュビロ磐田で、サッカー人生の集大成を迎えようとしている同い年(39歳)の中村選手を、これからも応援していきたいと思っている。

(了)

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