10.酔っ払いクロニクル

・1974年の泥酔中年

今から40年前の電車の様子はというと、JR線は国鉄などと呼ばれ、男はモクモクさせてタンツバを吐き、女子供はそれを避けるように注意を払って電車を待っていた。

うっかり踏んでぬるっとさせる感覚はまだ覚えているが、子供にとっての国鉄は不快そのものの乗り物であった。

もうトイレとかね、なんで壁に塗りつけてあるんだかさっぱりわからんのですよ。

息できないくらい臭いのも、そういう仕様なのかと思うほどどこも一様に臭い。

 

その日はGWの最中、父親の職場訪問ということで、新宿駅で総武線に乗り換えるところだった。

とはいうものの、イマドキのような「パパの仕事場見てみるか?」「うん!」などという朗らかな絵ではなく、着くなり書類をアイウエオ順に並び替えろ、この封筒全部に切手貼れ、スタンプ曲げるな馬鹿!と散々こき使われることはわかっている。

うれしくない上に、大人の歩く速度に合わせなきゃならないので必死の小走りだ。

なにしろ大人が中心の社会で、子供はおまけの時代である。

手をつながないのはウチだけのことではなく、周りの大人から「どけ」「ジャマだ」と怒られながら子供は走るわけだ。

 

総武線のホームで並んで待っていると、前にいる泥酔の中年が一人で怒っている。

しかも激怒だ。

何も起きなければとビクビクしていると、その前を若い駅員が横切る。

すると、 「おい、この野郎!ちょっと待て」と絡み出す。

駅員も駅員で、 「おう、なんか用かゴミクズ」と完全に喧嘩腰。

汚い言葉が飛び交う。

泥酔中年のツバが飛沫となってこちらの顔に掛かるが、それは我慢するしかない。

胸ぐらつかみ合って、掛かってこい、お前から来いだの応酬があり、そおっと後ずさりしてると、まったくお構いなしの父親が、 「おいタカシ、もう並んでないから前詰めなさい」 と。

案の定、気がついた泥酔中年から怒鳴られる自分に、それを助けるでもなく平然としている父親。

釣り客で埋まる市ヶ谷・飯田橋の外堀を眺めながら半泣きの車中となる。

昭和の大人たちがデタラメに生きていた時代である。

 

・2014年の泥酔中年

では40年後の新宿駅はというと、泥酔中年はまだ見かけるものの、構内は静かでキレイなもので、子供も安心して歩けるみんなの駅となっている。

当然、トイレの壁にうんこが塗られるような不可解な現象は起きようもない。

自分は、小田急線の新宿駅で並んでいる。

40年経ってはいるが、また目の前に泥酔中年がいる、というよりホームドアにもたれかかっている。

そのままだとドアが開いておっちゃんが大惨事になりそうなので、駅員が来て抱き留める。

「ダメですよお」

「んふふ~」

ekiin

「入っちゃ危ないですよお」

「入ってないよお」

「だから危ないですよお」

「おれが入るわけないだろんふふ~」

駅員にハグハグされながら、気持ちの悪いほどなごやかな応酬が5分ほど続く。

時代は変わったもんだ、と乗り込みながらしみじみ思う。

平成もデタラメといえばそうかもしれない…。

 

なお、泥酔中年は臭い息吐きながらやっぱり隣にきた。

 

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