8.笑らーしかねーっ!
・笑らーしかねーっ、と流された家の前で…。人は、突然衝撃的なことに出合ったり、余りにも辛く悲しすぎると、呆然となり、何も考えつかなくなるものらしい。
3.11で津波被害に遭った町内の方々が、翌日その現場で流された我家や、ガレキなどでめちゃくちゃになった光景の前にボー然と立ちつくし、誰彼もなく「笑らーしかねぇ」(笑うしかない、の方言)と言って笑い合った、という。
何故笑ってしまったのか、何故一人でなく居合わせた皆が笑ったのか、誰も説明がつかなかった、という。 そもそも、笑うという場面では勿論なく、むしろ泣き崩れたり、半狂乱になるような状況ではないか。
津波被害に遭うまで、それぞれがその地で黙々と家庭を築き、子供を育て、親を支えて、懸命に生きてきた人ばかりである。 そこに至るまでには、言葉にならない苦労や、努力や、喜びや、悲しみや、歴史が詰まっていたことであろう。
それが、地震と津波で、あっと言う間にすべてが破壊され、全てが流されてしまったのである。 頭を過ぎったのは、これまでのことが何であったのか、これまでの時間や、過程や、歴史は何であったのか、ということであった。 一瞬にうちに、積み重ねてきたすべてを失くすことの前で、自嘲気味に笑ってしまったのであろうか。 ・なみだも出ねーっ!被災者の方と話をすると、涙が出なくて困っている、ということを聴く。 前述したことと同様に、人は過酷で、辛く悲し過ぎると、涙も枯れてしまうのか。 衝撃的過ぎると、気持ちのバランスを取ろうとするのか、感情を抑制し、閉じ込めてしまって その表現が出来なくなってしまうものらしい。
涙が出過ぎて困る、何を見ても泣いてしまう、と訴える方々も沢山いるが、泣けないほど辛い ものもないと思う。 TVドラマの悲しい場面を観ても、どんな辛い、あるいは感動の場面に遭遇しても、とにかく泣けないという。 気持ちは、悲しく、泣きたく、感動しているのに。 ある方は、ドラマを観て泣いている夫から、「涙も流さないなんて、冷たいんだな」と言われる。
東日本大震災・福島第一原発事故は、本当に過酷で、深刻で、希望が見えてこない状況をつくり出している。 そこには、絶望と、不安と、不信が渦巻いている。 何しろ、4年が経ったというのに、原発の汚染水は垂れ流されているし、その隠ぺいも何度も繰り返しているし、廃炉行程は見直しが続くし、町内を3分轄して賠償の格差を設け町民同士の分断まで図っているのであるから。 さらに言えるのは、これほどの大事件を起こしても、誰も責任をとっていない、という事実である。
そうさせている責任は、言うまでもなく政治であろうと思う。 とりわけ政府、与党の政治家の責任は重い。 そして加害者である東電の責任も、これまた言うまでもない。
人々に、涙も出ないほどの過酷な事態を招いても、その原因も明らかにせず、その責任も取らず、収束も出来ず、放射性物質を放出し続け、尚且つ被災者どおしの分断まで図っている者たちは、何を想い、何をしようとしているのであろうか。 涙が出ないほどの感覚は、持ち合わせてはいないであろう。
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