21.小豆島とオリーブ
・寝台特急サンライズ・・・2年前の2015年に小豆島からの女性を原発事故被災地へ案内した。 実は私にとって、小豆島ははるか昔からあこがれていた場所の一つでもあった。 それは小学校1年生くらいの時、小学校の講堂で「二十四の瞳」という映画を観てその印象が強く残っていたからだ。島、に対する漠然としたあこがれも持っている。
私は2年前(2015)にがん発症したがその以前から旅・温泉・島…が好きで、オリーブも抗酸化や抗ガンで優れている話を聴き、関心が高まっていた。 故に旅、小豆島、オリーブのキーワードは一気に心を捉えていった。 そんなこともあって、小豆島からわざわざ原発事故被災地を訪れる方がいることに驚き嬉しかった。 その植西英子さんは東京都の臨床検査技師退職後、大好きなオリーブ栽培をするためにイタリアで勉強し、単身小豆島へ移住し除草剤を使わず低農薬でより安心なオリーブづくり目指して奮闘している。
実は1年前に徳島新聞社での講演があり、途中岡山で福島のお父さんと呼んでくれる永露千秋さんと再会し、そこから小豆島へ渡った。天候不安もあり短い滞在時間であったが二十四の瞳ロケ地など見せてもらい、その時来年のオリーブ摘み援農を約束していた。 元来の友人である佐藤恵子さん、木村肇二郎先生と3名で遂に10月再び小豆島へ渡ることとなった。 恵子さんが難関の寝台特急サンライズのチケットをゲットしてくれた。 瀬戸内海から昇る朝焼けが見えるこの寝台特急は超人気である。22時東京駅出発に胸が躍った。 さあ、初の「寝台特急サンライズ瀬戸」の出発だー!
ゆっくりと動きだし夜景を眺めながらひたすら走り、ベッドに横たわってのビール缶も増えて行った。 朝方途中の岡山駅でサンライズ出雲と切り離され、瀬戸大橋を渡り一路高松駅に走る。 あいにくのくもり空で、朝日は拝めなかったが到着後凄いことになった。 ・オリーブ援農隊・・・フエリーでゆっくりと高松港から土庄港へ着くと、植西さんが待っていた。 早速雨合羽、長靴へ履き替えてくださ~い、の指示。良く分からないまま雨合羽を着て帽子をかぶり軍手をはめた。まっすぐオリーブ畑へ行き作業を始めるという。
曇天のオリーブ畑は雨も上がり、少しばかりぬかるんでいる箇所もあるがまあまあのコンディション。 やはり大阪から援農で来ていた92才の母娘さんにも驚いた。おばあさんは畑の斜面もなんのその淡々と摘み始めた。昨年も援農に来ており慣れたしぐさである。 同行の木村先生は76才であるが、ぼくはまだまだはなたれ小僧だねと笑わせてくれた。
実は植西さんは、島内に8カ所ほどの畑を有している。 穏やかな瀬戸内海が望め、ふと見ると爽やかな潮風が顔に当り疲れを忘れさせてくれる。 最初の畑がおおよそ摘み終わり、次の畑に移動し近くの美味しいお店で昼食となった。 昼食後は再び別の畑へ移動し結局日没までかかりおおよそ100㎏のオリーブを収穫した。 搾油所は約100㎏を目安に搾油し、その方が効率が良いらしい。後で聞いたらこの日の100㎏から8.5ℓのオリーブオイルが出来たらしい。搾油率8.5%となる。 暗くなってから帰路、夕食に立ち寄った。美味しいお寿司などが並んでた。 素敵な構えのお店の名前が珍しく尋ねた。 小設食堂ってどんな意味なんですか?お親父さん曰く「小豆島設備という設備会社営ってるからそこからの小設だよ」と。なぞが解けた、と一同大笑いの夕食だった。
お宅へ戻り一休みしてからまた仕事が始まった。今度は病気や虫食い果実を取り除く選果だ。
翌朝雨のためゆっくり寝て起きていくと、恵子さんが「大変、台風が四国を直撃しそうなの。私たちは診察があるから急いで帰らないと・・・」。 木村先生は眼科クリニックを開業している院長、恵子さんはその副院長。 急きょ飛行機をキャンセルし、岡山へ渡り新幹線に乗りたいという。 同行の旅、私もご一緒することになった。
結局小豆島滞在27時間のオリーブ摘み弾丸援農隊、となった。 帰宅後に妻が呆れて言った「すごい贅沢な旅だったね」と。 なるほど費用対効果考えれば行って帰って来ただけの豪華な?旅だったがこれもまた忘れえぬ貴重な人生の一コマとなった。
原発事故被災地からの保養兼ねた脱出、貴重な寝台特急の旅、小豆島行、何より尊敬する方との同行など他にない費用対効果の旅だった。
●この度訪れたオリーブ農園では、年間オーナーさんを募集している。
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