21.どうぞ皆さん、お気をつけください
・自分はなぜ、この人に見覚えあるのか知らない人に二度会うことは、どの程度あるものなのか。 住んでいる近所であれば、そんな顔だけ知ってる人との遭遇もあるだろう。 朝の通勤電車もそうだ。 この時間、この場所には、こんな奴あんな人がいる、と顔だけ知ってる人間がけっこういる。 だが、帰りの電車では朝の面々を見かけることはあまりない。 もちろん、なくて構わないのだが、ごくたまに遭遇するとお互いで一瞬知り合いと間違え挨拶してしまいそうになったり、声を掛けそうになったり。 おっさん同士がつくる気まずい空気は、とても気持ち悪い。
あるいは、なんで自分はこの人を知っているのだろうかとしばらく思案する。 やがて、朝のメンツと気がつくと、こちらはひどく損した気分になるのだ。 向こうもそうかも知れないが、こちらは真剣なのだ。 白土漫画風にいえば、そんな奴は追っ手に間違いないのだ。
・1999年のおばあさん20世紀もそろそろ終わる頃であり、世界ではミレニアムを祝うムードになり、日本も少しずつそうなろうとしていた。 だが20世紀中の「1999年」という年は、20歳30歳代の日本人には特別の意味を持っていた。 それは、70年代に一大ブームを起こした「ノストラダムスの大予言」である。 1999年の7月に恐怖の大王が人類を滅ぼすなどと書いた本はベストセラーとなり、その著者はテレビ番組にひっぱりだこ、UFOや心霊写真とともに、日本中の子供を夜トイレに行けなくさせる原因となった。 結局、80年代90年代もそうしたオカルトイベントが散発的にあり、この1999年までネタを引っ張っていた。 「自分は、あと二十何年しか生きられない…」という死の宣告を受けた子供たちも、とっくに成人し物事の分別もだいぶついてきていた。 だからと言って、欧米人たちのノー天気なお祭り騒ぎには便乗できない何かがあったのも確かだ。
自分は連結部そばの車両の奥にいた。 横に寄りかかれる場所は何ともありがたい。 通勤に疲れを感じ出す年齢でもあり、ただつり革につかまるより、ドア横や車両端がラクに感じるようになった。 そんなときに連結部のドアを開けようとする人が向こうの車両から来た。 自分が寄りかかっているせいで開かないため、恐縮しながらどいておく。 ここで相手の目を合わせなかったのは、大正解だった。 もともと小心者の性ではあるが、ここは自分のナイス判断と褒めておきたい。
そして、こちらの車両に移ったあばあさん、やや大きめの声で目が合った人に向けて、 「恐怖の大王が来ます。どうぞ皆さん、お気をつけください」と頭を垂れて言う。 こちらが「気をつけ?るのか???」となっている間に、もう次のターゲットを見つけ「お気をつけください」と言って進んでいる。 この人は車両の端から端まで言って歩いているのだろうか。 ちなみに東海道線は15両である。 おまけにグリーン席の車両には、乗車券だけでは入れないが、どうしているのだろうか。 グリーン席の客には注意喚起は必要ないのだろうか。 話す内容よりも、行動の際のマイルールがあるのか気になる。
・2012年のおばあさんそれから十数年。 恐怖の大王は来ず、人類は滅ぼされずにすんだ。 気をつけられたんじゃコトは進まないのだろうか。 20世紀とは違い、オカルトに対する評価は実にシビアである。 大王といえども、生きにくい時代になってしまったようだ。
再び連結部のドアを開けようとする人がいる。 このときも恐縮しながらも目は合わせなかったのは正解だったと思う。 そして「安倍政権が誕生します。どうぞ皆さん、お気をつけください」とやはり頭を垂れて言う。 あのときのおばあさんだ。まだ生きていた。 恐怖の大王からやや現実に戻るが、やはり注意喚起である。 「また気をつけるのかよ」と意表突かれてる間に、足早に行ってしまった。 女子高生グループにも近づき言うが、彼女たちは好奇心が強いだけで、明るく騒いでおしまい。 彼女たちに投票権がないことを知っているのだろうか。 いまなら何を懸念するのか、是非またお目にかかりたい。
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