6.乃木希典、静子・栗林忠道

うつし世を神さりましし大君の
み後慕ひて我は行くなり(乃木希典[のぎまれすけ])

明治天皇に殉死した乃木希典の辞世歌である。

歌は、「この世で神でいらっしゃった天皇さまの後を慕って(離れがたく思って)、自分は死んでいくのである」といった意。

乃木希典が天皇崩御に際し殉死したのには、次のような背景・いきさつがあったとされる。

日露戦争で、多くの部下を失ったこと、後に、勅命で学習院院長の栄職に任じられたこと、西南戦争で苦戦し、軍旗を奪われたことなどによって、かねて天皇には迷惑をかけ、お世話になっていたから。

夫婦ともども、辞世歌まで詠んで殉死したのは、これまでに感じていたその大きな「君恩」に報いたかったためであろう。

乃木希典(1849~1912)は、軍人。陸軍大将。長州(山口県)藩士。後に学習院院長。日露戦争で旅順を攻略。明治天皇崩御の大葬の日に、妻の静子とともに殉死した。

なお、殉死に際しての、妻・静子の辞世歌が次の歌である。

いでまして帰ります日のなしと聞く
今日の御幸[みゆき]にあふ[う]ぞかなしき(乃木静子)

「いでまして」は「出で座して」で、「お出かけになって」、「御幸」は「天皇のお出まし」の意。

「お出かけになって、帰ります日はないと聞く、今日の(明治天皇の大葬の)お出ましに会うことが悲しいことである」の意。

殉死では、まず妻が自身で刺し、それに夫がとどめを刺した後、続いて夫が切腹したという。

ともにみごとな、壮絶な死・殉死だったらしい。

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国の為重き務めを果たし得[え]で
矢弾尽き果て散るぞ悲しき(栗林忠道)

第二次世界大戦末期、死闘を演じた硫黄島守備隊の総司令官・栗林忠道の辞世の歌である。

「国の為重き務めを果たし得」ないで「矢弾尽き果て」て死んでいく、総司令官たる自分の「悲しき」気持ちを率直に詠んだ歌である。

栗林忠道(1891~1945)は、長野県生まれの軍人。硫黄島で戦死。極め付きの秀才、とりわけ文才に長じていたらしい。明治天皇から「恩賜[おんし]の軍刀」を頂戴している。

 

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