頼朝の首を刎[は]ねて、我が墓の前に掛くべし。
それぞ今生[こんじょう]後生[ごしょう]の孝養[こうよう]にてあらんずるぞ。(平清盛)
熱病に冒された64歳の清盛が、死に際して言ったというセリフ。
いわゆる「遺言」である。
意味は、
「頼朝の首を刎ねて、自分の墓の前に掛けろ。それこそが、この世とあの世での(私に対する)供養・孝行の道であるぞ」。
遺言で清盛は、頼朝の首を取り、それを自分の墓前に掛けることを命じているし、その頼朝の首を自分の墓前にかけることが孝養になる、言っている。
彼のこの言葉には、平家打倒を目指して挙兵した頼朝を、生かしたまま死去する悔しさ、彼に対する憎しみが強く表れている。
大君の深き恵みに浴[あ]みし身は
言ひ[い]残すべき片言もなし(阿南惟幾[あなみこれちか])
天皇の玉音放送のあった1945年の8月15日の朝4時過ぎ、割腹自決した阿南陸相の辞世歌とされる。
「天皇の深い恩恵にあずかった私は、言い残すべき一言もないことだ」といった意。
この歌は、以下の形で記されていたという。
「大君の深き恵みに浴し身は言ひ残すべき片言もなし 陸軍大将 惟幾
遺書 一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル 陸軍大臣 阿南惟幾
花押 信州不滅ヲ確信シツツ」
「大君」は、「天皇」をいう。
ここでは昭和天皇を指す。
「片言」は、「一言。ちょっとした言葉」。
阿南惟幾(1887~1945)は、東京生まれの陸軍軍人。陸軍大将。第2次世界大戦終戦時の陸軍大臣。人望の厚い、誠実な人柄だったという。終戦の日に割腹自殺した。
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