4.石川啄木・為永春水

今日もまた胸に痛みあり死ぬならば
ふるさとに行きて死なむ[ん]と思ふ[う](石川 啄木[たくぼく])

「三行書き」で有名な啄木の辞世の歌。

文字どおり、「今日もまた、胸に痛みがある。死ぬならば、生まれ故郷に行って死のうと思う」の意。

「胸に痛み」を覚えた啄木は、この歌を詠んだ当時、胸の病気で死ぬなどと思っていただろうか?

結果的には啄木は、慢性の肋膜炎→肺結核で、東京で死んでいる。

当時も、そして第二次世界大戦終戦後まもなくまで、肺結核は「死病」と言われ、この病に冒されたら、まず命は助からない、とされていた。

啄木もその例にもれなかったわけである。

さらに、「死ぬならばふるさとに行きて」死のうと思っていた啄木だったが、これも実現せずじまいだった。

「ふるさと」思いの啄木にとっては、さぞ無念だったに違いなかろう。

ふるさとを思う気持ちの表れた歌は、ほかにも

 

ふるさとの訛[なま]りなつかし停車場の人混みの中にそを聞きに行く

(「そ」は「それ」で、ここでは「訛り」を指す)

 

ふるさとの山に向かひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな

など、少なくない。

石川啄木(1886~1912)は、岩手県生まれの歌人。生活感溢れる、口語で三行書きの歌が多い。作品に、「一握の砂」「悲しき玩具」(歌集)や詩、小説、評論などがある。

4

皆さんへさていろいろとお世話様
お先へ参るはい左様なら(為永春水[ためながしゅんすい])

同じく江戸後期の戯作者・為永春水の辞世の歌である。

歌意は、「みなさんへ(申し上げますが)、これこれでいろいろとお世話になりました。(私は)あの世へお先に参ります。それでは、灰になります。ハイ、さようなら」。

「さて」は「これこれで。しかじかで」の意。

「はい」は「改まって、または承諾の意を表して応答する語」(広辞林)と、「灰」とを掛けたもの(「それでは、灰になります」の意)か?

為永春水(1790~1843)は、江戸後期の戯作者。江戸の生まれ。人情本の作風 を「春色梅児誉美[しゅんしょくうめごよみ]」などの作品がある。

 

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