3.在原業平・田山花袋

終[つい]に行く道とはかねて聞きしかど
昨日今日とは思は[わ]ざりしを(在原業平[ありわらのなりひら])

「伊勢物語」の中で、「昔男[むかしおとこ]」(在原業平を想定)の辞世歌として載せられている歌である。

「最後には誰でも行く道であるとは前からずっと聞いていたけれども、(それが)昨日や今日のことであるとは思わなかったことだよ」といった意。

死は、誰とて避けることはできない、運命的なものである。

この死を身近に感じ取った、作者の驚き・・・これがこの歌のメイン・テーマで、驚きの奥には、ちょっぴり嘆きも感じ取れる歌。

「終に行く道」は「最後に行く道」で、「死出の旅路。死」をいう。

「思はざりしを」は、「思わなかったことよ。思わなかったなあ」などと訳す。

「を」は詠嘆・感動の意の間投助詞で、「・・・ことよ・・・・よ・・・・なあ」などと訳す。

在原業平(825~880)は、平安初期の歌人。六歌仙の一人。「伊勢物語」の「昔男」に擬せられる。和歌の上手で、色好みの、典型的な美男とされる。

 

03

 

何しろ、誰も知らない暗い所へ行くのだから、
なかなか単純な気持ちじゃない。(田山 花袋[かたい])

癌(喉頭癌)で死去する前々日、見舞いに来た島崎藤村に、死の直前の気持ちを訊かれて答えた田山花袋の言葉。

二人は、ともに自然主義文学を代表する作家で、互いに相手を理解し合い、心も通じ合っていた。

だからこそ、臨死の病人に向かって、死に行く気持ちを遠慮なく訊くことができたのである。

普通には、失礼・無礼も甚だしい行為に当たろう。

それにしても、藤村の訪問に対する花袋の答えの何ともすばらしいことよ! まったく理のかなった内容で・・・。

田山花袋(1871~1930)は、群馬県生まれの小説家。自然主義文学の作家。作品に、「蒲団」「田舎教師」「生」などがある。

 

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