10.初小説→震災! その2
・揺れの中、送稿予兆といわれる前々日の岩手沖地震で揺れている最中聴いた、競輪短編小説の最優秀賞受賞の連絡。 電話によると、応募総数216編。 初めての施策であり第1回目であること、競輪場を舞台にするというあまりなじみのない設定であることなどを考えると、主催者側としても、想定をはるかに超える応募数とのことであった。 正直私もそれほどの応募があるとは想定していなく、おおよそ100編くらいなのかな、と漠然と思っていた。 しかしより想定外であったのは、まさか自分の描いた作品が選ばれる、とは思ってもいなかったし、しかも最優秀賞というのは晴天の霹靂であった。 近日中に最終添削をし送付くださいの要請に応え、早速文字や部分描写のチェックを行い、あの3.11の日を迎える。 当日の午前中までかかり添削を終え、14時40分ごろからメール送信を始めた。 ところが中々送信がすすまない。そのうち揺れ出した。送信は終わらない。 表で妻が叫ぶ声が聴こえてきた。「お父さん、何してるの!危ないよ」と。 送信が終わらない私は、その揺れに恐怖を感じながらもPCとにらめっこしていた。 そのうち、やっと送信が終了した。 PCを切って表に出た私は、そこで地面にはいつくばっている妻や近所の人たちを見た。 それからのことは、余り覚えていない。 ・冊子販売→義援金へ東京に避難している私に、主催者から連絡が入った。 「このような状況ですので、授賞式は中止とします。賞金は送金させて頂きます。冊子は出来次第送付いたします」と。 やむを得ない、こんな状況だ。 何より震災の跡が生々しく、東電福島第一原発事故の状況は深刻だ。 それどころじゃない、と思った。
その後自宅へ戻った私へ、出版された作品集「京王閣競輪場物語」が届いた。 6編の入賞作を集めたA5 版、62頁の冊子は中々のものであった。 家族愛を描いた私の作品をコピーで知人などへ配布したところ、あの東日本大震災の状況な どもあってか、「泣きながら読んだよ」「涙が止まらなかった」「感動した」などの声が寄せられた。
そのうち避難所などでもコピーが出回り、読まれているという声も耳にした。 そうか、この本を多くの人に読んで頂き、売り上げを東日本大震災義援金に活用できないか、と 思いついた。 主催者と、書店販売及び義援金協力の交渉を重ねた結果承諾を得、いわき市内書店にて販売が始まった。
それなりの販売数となり、後日義援金として売上額のすべてが日赤へ届けられた。 震災の前々日、予兆の揺れの中で受賞を聴き、東日本大震災の揺れの最中に最終送稿し、授賞式は中止になり、冊子の販売額を全額義援金にさせて頂くなど、なんてこの小説を巡っては東日本大震災にまつわることが多いことか、と感じる。 さらにお読みいただいた被災者の方々から、涙した、家族愛を改めて想った、生きることの大事さを知らされた、などの言葉も頂いた。 言葉、文字、活字、などの重要性を改めて感じさせてくれた、たかが短編、されど短編であった。
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