2.利己心と親孝行
~加藤の前に加藤なし、加藤の後ろに加藤なし~ 少子高齢化の原因の一つに利己心があります。 「お金を自分のためだけに使いたい」 「独りのほうが気楽」 「希望に合う女性がいない」 「結婚しなくても困ることは無い」 このように考える人は多いです。 育児は苦痛であり、子供は必ずしも可愛くありません。 3歳まで「抱っこ」をせがみ突然「オシッコ」と泣き叫びます。 5歳になると「お父さんの使ったタオルは使いたくない」 小学生になると「お父さんの言うことは絶対聞かない」 中学生になると「産んでくれなんて頼んでいない」 成人すると連絡は梨のつぶて、お金の無心のときだけ連絡がきます。
親の時間とお金を奪って育ててもらった恩を自分が親になるまで忘れています。
戦前の日本人はどうして子沢山だったのか? 子供は親孝行であり親の利益となったことに、その一因があります。
相続税が軽かったことに加えて、国のため親のために生きるという価値観が戦前までは一般的でした。
島津製作所の2代目、島津源蔵は「自分の一家と国家のつながりを知らぬ人」を「家庭を滅ぼす人」とします。 国と家庭のつながりを教えることは親を大切にする心を育むことにつながります。 「加藤の前に加藤なし、加藤の後ろに加藤なし」と言われた加藤建夫中佐の生き様を見てみましょう。
加藤中佐は「加藤隼戦闘隊」と呼ばれた飛行第64戦隊の指揮官です。 指揮官としての加藤中佐は「家庭への送金」を強制的に定めるなど、部下の家族を大切にします。 生活は極めて質素で、軍服を脱ぐとサンダルと半ズボン姿、ぜいたく品は一品も持たない。 食べ飲むことが好きで珍しい食事が出ると非常に喜び調理兵を褒めますが、まずくても一言も苦情を言わない。 扇風機が支給されると「兵隊と同じ生活をする」と使わずに返却する。 一番風呂好きでしたが、指揮官として書類業務があったため部下に「先に入れよ」と労わり最後に入る。入浴時間終わり頃のお湯は非常に汚れているため、部下が「これは汚くて入れない」と思って残り湯をのぞくと平然と浸っている。 夜中には部下が寝ているところを見回り、手や足が布団から出ている者を見つけて布団をかけ直す。
人柄が高潔であるばかりか勇敢でした。 加藤中佐は若者たちの先頭に立ち、一度も休まずに飛び続けます。 20代のパイロット達は「強引な親父だ」と思いながらも、白い歯をだして笑いかける加藤中佐に勇気付けられます。 英軍が優勢であったビルマ上空で「我の苦しいときは敵も我に勝る苦しみがあるのだ」と寡兵にもかかわらず各地を急襲します。 加藤隼戦闘隊は6時間の飛行を1日2回、一週間連続して行い英国から制空権を奪いました。 1942年5月22日、デング熱で部隊の大半が倒れる中、爆撃に来た敵航空機を撃退に向かい、相打ちとなり38歳で戦死します。
このような人格はどのような教育から生まれたのか、次回、考えてみたいと思います。
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戦前の人、特に陸軍の軍人は悪し様に言われていますが、
13歳の少女をはじめ、多くの人が拉致されても何十年も助けられない
我々よりは、はるかに上回るどころか及ばない強さを持っていたことは確かでしょうね。
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