7.インドで最も有名な日本人は?

~007と戦う~

恐らく藤原岩市でしょう。

 

藤原は太平洋戦争中、特務機関、F機関を率いた人物です。

「フリーダム」「フレンドシップ」、そして「フジワラ」のFを頭文字としたF機関は、007のジェームズ・ボンドが所属するMI6と対峙した組織です。

 

1942年、日本はシンガポールを占領します。

シンガポールではインド人やマレー人が中国人の商店や家を襲い、財産を収奪していました。

 

藤原少佐は捕虜としたインド人を招待して会食します。この際、日本人はフォークを使わず、素手でカレーを食べ、郷に入っては郷に従えで接しました。

この心遣いに

「戦勝軍の要職にある日本軍参謀が、一昨日投降したばかりの敗戦軍のインド兵捕虜、それも下士官まで加えて、同じ食卓でインド料理の会食をするなどということは、英軍の中では、なにびとも夢想だに出来ないことであった。藤原少佐の、この敵味方、勝者敗者、民族の相違を越えた、温かい催しこそは、一昨日来われわれに示されつつある友愛の実践と共に、日本のインドに対する誠意の千万言にも優る実証である」

とモハーシン大尉は演説し、治安維持を約束します。

 

「絶対の信頼と敬愛を得ようとすれば、まず自ら相手にそれを示す必要があると信じた」

と遺している藤原少佐は

「民族の自由と独立は、民族自らが決起して、自らの力で闘いとらなければならない」

と演説し歓喜に包まれます。

 

「私が最も日本人が好きになったのは、シンガポールが陥落した頃、捕虜となった我々を兄弟のように扱ってくれたことでした。イギリス人は、我々を差別して一緒に食事もしないし、同じ車にも乗りませんでした。ところが、日本人は喜んで我々と一緒に食事をしてくれました。このように、人種や身分といった差別を抜きにして同じ釜の飯を食べ、平等な取り扱いを受けたことが、我々インド国民軍に大きな精神的影響を及ぼしたのです」(靖国神社への書簡より)

藤原はマラリアに冒された病床で日本の敗戦を聞きました。

戦犯として軍事法廷に呼び出された藤原は「わがインド工作は単なる謀略ではない。

陛下の大御心に添い、建国の大理想を具現すべく身をもって実践したことを強調しなければならない」と主張しています。

 

1954年にインドを訪問すると、シーク教徒の聖地ゴールデン・テンプルに招待され「インド国民軍の産みの親フジワラがゴールデン・テンプル往訪」と数万の群衆から歓迎を受けています。

 

1989年1月7日、昭和天皇崩御

日本人は2日間喪に服しましたが、インド人は3日間喪に服しました。

「我々インド国民軍将兵は、インドを解放する為に、共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対して、最も深甚なる敬意を表します。インド国民は、大義のために命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまで決して忘れません。我々は、この勇士たちの霊を慰め、ご冥福をお祈り申し上げます」(インド国民軍大尉 S・S・ヤダバ

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