8.インドの英雄チャンドラ・ボース

~日本で最も有名なインド人は誰でしょう?~

恐らくマハトマ・ガンジーです。

非暴力を貫きインドを独立に導いたガンジー

丸腰が安全、軍事力は外国を刺激すると考える日本人の歴史と精神に合致します。

 

しかし、インドを独立に導いたのはチャンドラ・ボースでありインド国民軍です。

 

ボースは1943年5月、日本の地を踏みます。

東京に到着したボースは

「諸君は、英・米が、この戦争は自由および民主主義のために戦われているという決まり文句を、しばしば聞かされたであろう。

ところが、である。自由と民主主義を唱える彼らが、人類の5分の1を占めるわれらインド人に与えたものはなんであったろうか。

大英帝国がインドに対して行ってきたことは、道徳と文化の破壊、経済上の貧困、政治上の奴隷化、残忍な圧制、愛国者の虐殺であった。

彼らの唱える自由とは、彼らのみの自由であり、われらに与えた自由は死せる自由でしかないのである。

いまこそ、われわれは真の自由を自らの血を流して手に入れなければならない。そのためにわたしは一兵士として戦場に臨む覚悟である。

武器をもった敵に対しては、武器をもって戦わねばならぬことをインド国民は知っている」

と訴えました。

 

石油不足から自衛のために立ち上がった日本人は、ボースの言葉に戦争の世界史的な意義を見出します。

 

「今から40年前、私はようやく小学校にあがったころでした。

有色民族の日本が世界の強国であるロシアと戦い、これを大敗させたというニュースがインドに伝わり、興奮と感動の波が全インドをゆるがしました。

人が集まれば旅順攻撃の話、日本海海戦の話でもちきりでした。

私たちインドの子供たちが、東郷元帥や乃木大将を尊敬し始めたのは、その時からでした。

私たちはみんな、猛烈な日本ファンになりました。

日本から岡倉天心のような立派な人がインドを訪れ、アジアはひとつなりと叫び、私たちを感激させました。

私たち4億の民が今欲するものは、自由と、国家の名誉です。それらは、独立を勝ち取ってはじめて手に入るものなのです。

私たちは日本と手を取り合って、共通の敵と最後まで戦うことを誓い、私のあいさつといたします」

と述べ、ボースはインドに帰りました。

 

日本国中にボースブームがおき、インド侵攻を引き起こすことになります。

1943年7月、ボースはインド国民軍の司令官となります。

「今日は、私の生涯を通じて、最も誇りとする日である。インド国民軍の結成を世界に宣言する光栄の日である。

 

終生の希望を達成したことに、心から神に感謝したい。この軍は、英国の桎梏からインドを解放するだけの軍隊ではない。

独立の暁には、自由インドの国軍となるべきものである。

この軍隊が、かつて英国の牙城たりしシンガポールの地に編成されたことは、とても感慨深い。

今この壇上に立つと、大英帝国すでになし、との感が深い。

 

同士諸君、わが兵士諸君、諸君の雄叫びは「デリーへ」「デリーへ」である。

 

われらの中、果たして何名がこの戦に生き残りえるか分からぬ。

しかし、最後の勝利を獲得することは間違いない。

われわれの任務は、あの古都デリーの赤城に入城式を行うまで終わらない。

長い間の抗英闘争中、インドは、あらゆる闘争手段を持っていたが、唯一持ち得なかったもの、そして最も重要なるもの、それは軍隊であった。

私は、この軍隊のないことに歯噛みしてきた。

それが、現在、ここに、かくも精強な軍隊が設立したのである。

歴史に残る軍隊へ最初に参加できたことは、我々の特権であり、名誉である。

しかし、名誉は常に責任を伴う。私自身も深くこれを自覚している。

私は諸君に、暗黒にも、光明にも、悲しみにも、喜びにも、また受難のときにも、常に諸君とともにあることを誓う。

現在私が、諸君に示し得るものは、飢餓、欠乏、その上に、進軍、また進軍、そして、死以外なにものもない。

しかし、諸君が生死を私に託して従うならば、私は必ずや諸君を勝利と自由に導き得ると確信する。

 

我々の中で幾人が生きて自由インドを見るかは、問題ではない。

我々の母なる国、インドが自由になること、インドを自由にするため、我々の全部を捧げることそれで十分なのである」

 

一万五千のインド国民軍と集まった数万のインド人市民は、「デリーへ」「ネタージ・ボース万歳」と歓呼し、熱気に包まれます。

 

1944年10月、自由インド臨時政府が樹立されました。

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