3.旅と音楽
南フランスのニースを訪れた時一日だけ雨が降り始めました。 移動で疲れていた私は一度ホテルで休憩することに。 そのうち雨は上がり、夏の終わりのニースは少し肌寒かったのを覚えています。 また雨が降り出さないうちにホテル近くを少し歩きレストランを見つけました。 小さなレストランには奥にお客が数人、閑散とした店内に不安を感じながらもこのお店に決めた理由は店の中心にあったグランドピアノです。 きっと生演奏を聞きながら食事をいただくことができると思い、店員に確認すると期待を裏切らない返事が返ってきました。 テラス席に通され少し肌寒さを感じながらもワクワクしながら席に着きます。 数品の食事メニューとグラスワインを注文しました。 牛のカルパッチョにオイスター、ブイヤベースとどれもとても美味しくて自分の嗅覚の鋭さに感動しました。
美味しい料理とお酒に舌鼓を打っていると一人の黒人女性が店の真ん中のグランドピアノに腰掛け、おもむろに歌い始めました。 ピアノを弾きながらジャズをしっとり歌い上げます。グラマラスなボディーからは想像できないほど、優しく哀愁漂う歌声は雨上がりのこの町に溶け込むように心地よい音色を奏でます。
ワインと歌声に酔いしれる中、音が止まりました。 どうやらジャズシンガーの彼女は一時休憩のようです。 彼女はお店を出るとお客さんの視界から隠れるように少し先の影にはけて行きました。 気になった私は彼女の後ろ姿を自然と追っていました。 するとライターに火をつけタバコを吸い始めたのです。 あれほどの美声の持ち主が喉に良くないタバコを吸うことが意外でビックリしていると、遠くの彼女と目が合ってしまいました。 そのことを誤魔化すかのように慌ててにっこり挨拶しました。 そしてタバコを吸い終えた彼女に素晴らしい歌のお礼を告げると彼女は少しだけ自分のことを話してくれました。
そこで彼女が高校生の息子を持つシングルマザーだと知りました。 歌うことが大好きで、こうしていくつかのお店を掛け持ちしながらジャズシンガーとして生計を立てているそうです。 そう話す彼女の表情は演奏中からは想像できないほどあどけなく可愛いらしかったです。
彼女の歌声はレストランで会話を楽しむ人達のソフトなBGMとなる一方、演奏に耳を傾ける人達の心を揺さぶる楽想となる不思議な両面を持っていました。 それは一人の母でもあり、父でもある彼女の優しさと強さを表現するかのように聴く人によって表情を変えるのです。
いつもなら事前にレストランを予約するのに、その日に限っては行き当たりばったりで入ったお店での出来事。今でもジャズを聴くたびに彼女の笑顔と歌声が蘇ります。 旅も音楽も結局はめぐり合わせなのだと実感せずにはいられませんでした。
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