27.道成寺の見所⑤―乱拍子 そもそも乱拍子とは? 

・そもそも乱拍子とは?

現在、「乱拍子」と言えばまず、「道成寺」のあの気魄みなぎる乱拍子を指す。

けれど元をたどれば乱拍子とは、能の成立以前から演じられていたもので、白拍子が舞い、僧侶や稚児が延年(平安後期~室町時代に盛んに行われた、寺院における法会の後の演芸会)で演じた歌舞芸の一つである。

 

鼓の伴奏とともに独特の足拍子を踏みながら舞い謡うのが特徴で、陰陽道の呪法である反閇(へんぱい/大地を踏んで、悪魔を鎮める)を採り入れたものとも言われる。

この乱拍子は子どもにも十分できるような軽妙な舞いで、特に気迫を込めるべきものではなかった。

なので道成寺の乱拍子は、鼓とともに独特の足拍子を踏む点で共通するとはいえ、むしろ本来とは異なる特殊な乱拍子として当時の注目を集めたのではないだろうか。

そして時代とともに本来の乱拍子は衰退する中で、独特の気迫をもった道成寺の乱拍子の方は能の演目の中に残ったわけだ。

 

・金春禅竹の『五音三曲』に見る乱拍子

ところで「乱拍子」と呼ぶからには、標準的な拍子があって、それが乱れた変則的な拍子であるから「乱拍子」ということになるのだろう。

 

この点について、金春流宗家に伝わる『五音三曲』(金春禅竹著、1460年)の中に「拍子之事」という一節があって、「およそ拍子は八拍子なり」とした上で、この外の拍子として乱声(雅楽の調べ)、はや拍子、曲拍子などとともに、「乱拍子、さがりは等の拍子あり」と述べている。

つまり能の拍子の標準は八拍子で、その他の変則的な拍子の一つとして「乱拍子」もあると。

 

この書き方からすると、いくつかの変則的な拍子の一つとして挙げているだけで、特殊なものとは意識されていない。

恐らくここで挙げている「乱拍子」は、従来の乱拍子なのだろう。

禅竹が50歳半ばだったこの時期にはまだ、道成寺の乱拍子は成立していなかったことがわかる。

 

その『五音三曲』の写しが観世流宗家に伝えられている。

禅竹が著してから50年ほど後、永正16(1519)年に美濃与五郎権守(小鼓方か?)から相伝した旨の奥書をもつ古写本だ。

その奥書の部分に「ランビョウシノコト、ヒョウシヲツナガズ、ヒツキリヒツキリウツ故ニランビョウシトハ申也。ヲキツゞミノミダレナリ」と書き足されている(☆)。

これは道成寺の乱拍子のことを述べたものだろう。

すると応仁の乱を経て戦国時代に入ったこの時期には、すでにあの乱拍子が上演されていたわけで、道成寺の乱拍子の成立時期はこの間に絞られる。

乱拍子の由来について「ヲキツゞミノミダレナリ(置鼓の乱れなり)」と指摘している点にも注目したい。

第27回-翁_R

▲翁の面

 

・「置鼓」の乱れ、「翁」とのつながり

「置鼓(おきつづみ)」は笛と小鼓だけで演奏されるもので、小鼓は笛と同時には奏さず、笛が吹かれている間は鼓の手を置くことから、このように呼ばれる。

古くは大切な能の冒頭に演奏された「小鼓の譜の原型」のような演奏(☆☆)だが、現在では「翁」に続いて上演される初能の冒頭にのみ演奏されているようだ。
「置鼓」の小鼓の譜は「ヤ● ハ○● ヤ○ ハ○」となるそうで(☆☆☆)、前回(第26回)見た乱拍子の譜で、「ヤ(シラ声)」から、「ヘン(イヤ)」の前までと一致している。

 

さらにもう一つ。

道成寺の乱拍子の前半では笛がアシライを吹くのだが、このアシライは「翁ノ舞」の譜をそのまま吹いている(☆☆)とのことで、能の原点である「翁」とのつながりが見え隠れするのも興味深い。

 

☆表章『大和猿楽史参究』岩波書店、2005年、46頁。
☆☆九習會HP、橋岡久馬1周忌追善 橋岡會「道成寺」解説 by荒木亮
☆☆☆三浦裕子「乱拍子の音楽」(『別冊太陽79 能道成寺』1992年)

 

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