25.改葬・墓地移転

・墓地にも放射性物質降り続く…

2011年3月の東京電力第一原発事故により、人々に、大人に、子どもに、幼児に、老人に、男に、女に、町に、村に、海に、空に、山に、川に、ダムに、湖に、田んぼに、畑に、木に、魚に、港に、道路に、学校に、幼稚園に、病院に、老人ホームに、商店に、役場に、駅に、バス停に、家に、車に、バイクに、おもちゃに、ランドセルに、教科書に、本に、水に、食べ物に、神社に、お寺に、墓に・・・そう、人間や、社会や、自然や、動物や、全てのあらゆるものの上に放射性物質が降り注いだ。

 

風にまかれ西に、東に、南に、北に、町を越え、村を越え、山を越え、川を越え、海を越え、全国へ、海外へ・・・降り注いだ。

それはまだまだ書ききれないほどのこの世に存在しているすべてのものに、だ。想像を絶するほどであろう。

 

現実的なこれほどまでの被害、広範囲な被害は多分多くの人々は想像しえないだろう。

ここにも津波や地震と言った自然災害とはあまりにも違った、広大で甚大な原子力災害の現実を知ることが出来る。

311とか、東日本大震災・・・と、ひとくくりでとらえられるが原発事故災害は自然災害の実態とは全く別物であり、比較にならないほどの規模と内容を有している。

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・両親が、祖父母が、叔父叔母が眠る墓…

死者のうえにも放射性物質は降り注いだ。

死んだ者も哀れだが、これから死ぬであろう人々も、私もその場所へ、その放射性物質まみれの墓へ入らねばならないのであろうか・・・!

そしてその場所へ子や孫たちも盆や彼岸に墓参に訪れなければならないのであろうか・・・。

 

原発被災地町にあった両親祖父母叔父叔母の眠る寺。

由緒もあり昨年150年が過ぎた戊辰戦争にもかかわりがあった寺。

私はこの町を出て50年以上が経っているが近い将来?自分もそこへ入るのだろうと思っていた。

しかし自分が入ったとしても、子や孫たちが墓参に訪れなくてはならない、彼らも入るかもしれないと考えた時、墓じまいではないがこのままでは大きな負の遺産になりはしないかと思い始めた。

自分の代で放射性物質まみれになった墓の存在を清算しそのために改葬・移転を決断した。

眠っている先祖もさぞ悔しい思いをしていることであろう。

彼らもある意味精神的賠償、償いを求めて良いのではなかろうか・・・。

 

居住する現自宅は第一原発から35㎞程離れた場所にあり、妻の実家の墓地半分に墓碑を改葬することとした。

平成28年旧寺にて魂抜き読経と離檀提出を行い、年明け2月に新寺にて魂入れ供養を行い納めることが出来た。

直近の埋葬した仏は父親で、すでに52年が経っていた。

骨は土に還り、何も残っていなかった・・・。

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・改葬騒動

これまでの手厚い弔いに感謝し指示通りの手続きで離檀したが、その証明をお願いしたところ「証明できない」の一点張りであった。

理由は「お宅はもう平成28年11月離檀し檀家から離れているから」。

「ですからその11月時点の証明で良いのですが」

「離れたのだから書けない・・・」

 

当方の落ち度があったのか、いじわるなのか、皆目解らずじまいであったが実際の理由は教えてもらえなかった。

が、留まることなくむしろ良かったのではないかと思い直した改葬騒動であった。後日他家にも様々あり檀家が自分でお骨を掘り出し移転した、というような話も耳にし痛く切なく思った。

今度の事故は寺・僧侶までも荒廃してしまったのか・・・。

 

原発事故は死者も仏様をも巻き込み、生者を苦しめ、地獄へ落とし込んだ。

これほど過酷な原発を稼働し続け多くの人々を死に至らしめ「自分は無罪だ」と主張している東電の者達は、果たして閻魔様の罰が当たらないのであろうか・・・。

小さいころ聞かされた「うそつきは泥棒の始まり」「悪いことをすると閻魔様に舌を抜かれる」も、原発事故の放射性物質がすべて覆い隠してしまったのか・・・。

 

我々原発事故被災者はここでもまた政治利用の道具にされ、使い捨てられるのであろう。

(201901.9筆)

 

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