9.式亭三馬・良寛

善もせず悪も作らず死ぬる身は
地蔵笑は[わ]ず閻魔叱らず(式亭三馬[しきていさんば])

「よいこともしないで、悪いこともなさずに死んでいく身(私)は、地蔵も笑わないし、閻魔も叱らない」といった意の、滑稽本の作者・式亭三馬の辞世歌である。

彼の作品の舞台は、江戸「庶民の平凡な日常生活」だった。

一方、履歴書には常に「賞罰なし」と書くほど、彼自身の人生も平凡だったらしい。

歌は、そうした彼の「平凡」な人生を自ら揶揄(やゆ)・嘲笑した歌、とみてよいだろう。

式亭三馬(1776~1822)は、江戸後期の滑稽本・草双紙の作者。江戸の生まれ。「浮世風呂」「浮世床」(滑稽本)などの作品で知られる。

09

形見とて何か残さん春は花
夏時鳥秋は紅葉葉[もみじば](良寛)

良寛の辞世歌として知られる歌。

「形見として、何を残しましょうか。春は、桜の花が咲いたら桜の花を、夏は、時鳥が鳴いたら時鳥を、秋は、紅葉したら紅葉の葉(木)を、私の形見と思ってください」

といった意。

「か」は、問いかけの意の係助詞。

「ん」は「む」の転で、意志の意。

死に間近い病床にあった良寛。

その良寛を見舞う周囲の人々は、形見に何かを残してほしい、と懇願した。

当時、和歌や漢詩、書の上手として世に知られていた良寛は、形見に残すにふさわしい物は何一つ持っていなかった。

そこで、自分の形見と思って愛し味わってください、と言って、物の代わりに彼らに残したのが、日本の「美しい自然」だった、というわけ。

清貧に甘んじながら、子どもを愛し、自然を愛し、心=精神の豊かさを求めた良寛・・・この歌は、いかにも良寛らしい、良寛にふさわしい歌であることよ!

ちなみに、この歌は道元の

「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪冴えて涼しかりけり」

という歌が元歌だとされる。

良寛にはまた、次のような辞世句もある。

裏を見せ表を見せて散る紅葉

句の意味は、「裏を見せ、表を見せながら舞い散る紅葉である(なあ)」。

読んで字のごとき意味である。

難解な語も、何一つない。それでいて、そうでありながら、何かを感じさせる、何か意味ありげな句である。

どうも、「裏・表・紅葉」が句中のキー・ワードのような気がする。

死に臨んで詠んだ句であるから、単に、紅葉がひらひらと舞い散るさまを詠ったものではないはず。

散る紅葉に事寄せて、何かを詠んだのではないか?

その何かは、今まさに死んでいこうとする自分自身(=良寛の姿)ではなかろうか?

その場合、「紅葉」を良寛自身と見たい。

さすれば、「悪い、醜い面をさらけ出し、善い、美しい面を見せながら死ぬ(死んでいく)自分(良寛)である(なあ)」といった意になろうか。

この句の真意は、冒頭の句意にプラスした、美も醜も、善いも悪いも、ありのままの真の人間をさらけ出して死んでいく人間を、そうした人間の哀れさ、はかなさをも詠んだところにある、とみたい。

そうであればこそ、この歌は多くの人に親しまれ、後世に伝わってきた句なのだろうよ。

 

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