14.知らされぬ恐怖

・1号機爆発~そして次々と…

2011年3月12日午後3時36分頃、東京電力福島第一原子力発電所1号機が爆発した。

そして以降次々と。

 

後日の住民の証言によると、ドーンという音と地響きのような音が聞こえた、空から白いものが降ってきた、などと話している。

 

その決定的な映像を記録していたのは、地元福島の民間某TV局1社。

福島第一原発から20㎞程離れた山頂からの、定点カメラがまぎれもなくその瞬間を映していた。

原子力発電所が爆破した瞬間をとらえている世界で唯一の、大スクープであろう。

 

受信料を徴収している 国営的なN●K、その他民間放送局は遠隔カメラは故障していたとのことで世紀のスクープを撮り逃がしていた。

故障していたならなぜ直ちに修理していなかったのか。

 

あの世紀のスクープ映像は、その後全く放映されない。

それは何故であろう。

まるでそのような映像などなかったのように、見事に日の目を見ない。

得意の、臭いものにはふたをするように、誰かが「誤って廃棄した」などというシナリオを造ってはいないだろうか。

マスコミも、自治体も、政治家も、政党も、政府も、国会も、首相も、誰も口にしない。

せめて節目の3.11くらい、警鐘の意味でも世界中であの映像を確認すべきであろうと思う。

そして後世に伝えることが必要ではないだろうか。

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・知らされぬ恐怖… !?

35㎞圏に住む私は、原子力発電所が爆発したなど知る由もなかった。

原発立地町村に住む住民でさえ知らされていなかったのだから。

後で知ったが、30㎞を越える地域に住む者は避難しようが留まろうが、勝手だということだ。

勝手だから、情報提供もない。

国策だ、と大見得切る割にはこれほど非情なことと、無責任なことはない。

 

だからこそ原発立地や再稼働は、原発立地住民だけの問題ではないのだ。

近くに原発があるだけで、その地域や生命その他生きるためのすべてが危険に晒されることになる。

いや晒さるだけでなく、実際に死亡しても(ある意味殺されても)誰も責任はとらない。

富岡町のMさんは「何も知らないまま、とにかくバスに乗せられた。明日辺りには戻れるだろうとエプロン、サンダル履き、小銭を持っただけで避難した。それから延々と避難所を探し求めてさまよった」

また別の住民は、何日たっても原発が爆発したことさえ知らず、我が家に留まっていたという。

全町避難し無人の町になった後も、何も知らず放射能が降り続ける所で暮らしていたのだ。

 

立地町の病院の患者さんたちは、爆発した原発からひらひらと何かが降ってくる中、屋外の駐車場でいつ来るとも分からない救助を待っていたという。

 

原子力発電所が次々と爆発する恐怖。

世界の誰もが経験したことのない恐怖。

収束できない恐怖。

知らされぬ恐怖。

 

情報を先取りした者、東電や原発関係者、政治家、地方議員、報道関係者…ありとあらゆる者達が我先にと逃避行した。

怖いのだから逃げるのが当たり前であり、それで良い。しかしその危険情報を公表共有することも人間ではなかろうか。

この時期 宮城・岩手に比し、福島県とりわけ浜通り地方の被災報道が極端に少なかったのも、このような背景があるのだろうか。

 

自然災害とは異次元の原発事故の恐ろしさが見えてくる。

 

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