28.道成寺の見所⑥―乱拍子 白拍子の「セメ」、かの弁慶も名人だった?
道成寺の乱拍子が特殊であることはわかったが、ならば古くから舞われていた本来の乱拍子とはどういうものだったのか――。 しばし道草になるが、『乱舞の中世』(☆)という面白い本を参考に、もう少し探ってみよう。
・白拍子舞の乱拍子そもそも白拍子の「白」とは「プレーン」という意味で、古くは雅楽や声明などで、楽器を用いずに笏拍子や扇拍子だけで歌うことを言ったとか。 それが平安末期頃から独特の様式の歌舞として成立し、静御前など、水干に烏帽子という男装の女芸人たちが演じて大流行したため、彼女たちを白拍子と呼ぶようになった。けれど歌舞としての白拍子は、その他の芸人や、僧侶や稚児など、さまざまな人たちによって舞われている。
当時、白拍子は新しい歌舞のスタイルであり、それまで流行していた催馬楽や今様などとは歌い方が違ったという。 催馬楽や今様が声を長く引いて旋律を歌い上げたのに対し、白拍子には、今でいうラップやヒップホップに通じるような感覚があったらしい。 よく歌われたのは「物尽くし」で、例えば水の名所を並べ挙げる「水尽くし」、長いものを挙げる「長い物尽くし」など、いわゆる数え歌を歌いつつ、数え舞をするといった調子だ。 それで白拍子は「歌う」と言わず、「数う」とか「申す」「言う」などと表現された。
また白拍子の歌舞は、後半に至ると鼓の打ち方がアップテンポになり、和歌を歌いながら足拍子を踏み廻る舞い方に変化する。 これを「セメ」と呼ぶのだが、鼓の拍子に攻め立てるような激しい調子があったのだろう。 鼓とせめぎ合って足拍子を踏むリズミカルな舞。この「セメ」が乱拍子に発展したと考えられる。
・延年における僧侶の乱拍子白拍子の舞い手として、「僧侶」っていうのは「?」かもしれないが、寺院においては古くから、大きな法会の後などに「延年(演芸大会)」が催され、そうした場で乱拍子も舞われた。 延年で芸を披露するのは、身分の高い学僧ではなく、衆徒と呼ばれる下層僧侶だ。 僧兵として武力を奮うなど多分に気の荒い衆徒たちは、高らかに足拍子を踏み鳴らす、激しく力強い乱拍子を生み出して、延年の場を盛り上げた。
例えば義経に仕えたかの弁慶も、実は乱拍子の上手だった。 『義経記』によると、合戦の場で敵に向かって「西塔に聞こえたる武蔵が乱拍子を見よ」と呼びかけ、味方に囃させながら舞い始めると、敵方も面白さに引きつけられ、時を忘れて見物したという。 最後の合戦となった衣川でも、覚悟をきめた弁慶は「東国の連中に見せてやろう」と、まず「嬉しや水、鳴るは滝の水、日は照るとも……」と囃させて、「東の方の奴原が鐙兜を首もろともに、衣川に切りつけてながしつるかな」と豪快に謡いつつ舞っている。 乱拍子ではこのように、即興の歌を謡い込んで踏み舞うことが多かったようだ。
・稚児舞の乱拍子延年においては、可憐で美しい稚児の舞が人気だった。 その稚児舞に乱拍子が加わったのは室町時代のことだという。 1429年、奈良を訪れた6代将軍足利義教のもてなしに行われた延年で、「崑崙山」という出し物の最後に、崑崙山を模した作り物の中から2人の稚児が飛び出して、乱拍子を舞ったという記録がある。 稚児は2人組みで舞ったようで、人気のレパートリーの一つ「糸綸(いとより)」では、糸をよる木枠を手に「糸をよるをもよるといふ 日の暮るるをも夜といふ 夜々人の来る間を待つぞ いとながき」などと、僧侶たちの恋心を大いにくすぐりながら踏み舞うのである。 舞台に盛り立て役の僧侶がついて、謡い舞う稚児に金銀の紙吹雪を散らしかけたり。 何とも可憐で華やかな舞い姿だ。 見物する僧侶たちは「ヤサッサ ヤサッサ」などと掛け声をかけ、魅惑的な稚児の姿に夢中になったという。
・鐘巻には「乱拍子なし」と言ったけど…以前、「道成寺」と「鐘巻」の比較で(→第11回)、「鐘巻には乱拍子なし」と書いたが、これは道成寺の独特な乱拍子を指して言ったものだ。 「道成寺」の原型である「鐘巻」では、「花の外には松ばかり……」の次第の謡から始まって、クリ、サシ、クセと道成寺縁起が詳しく語られる。 こうした流れの中に、従来の軽快な乱拍子が組み入れられていた可能性は十分ある。
金春禅竹の『五音三曲』にも見られるように(→第27回)、すでに能にも乱拍子が入っていた。 世阿弥の父観阿弥が、乙鶴という曲舞舞に習って能に曲舞を採り入れたのは有名だが、その際に乱拍子も加えられたという。 つまり曲舞でも乱拍子を舞っていたのだろう。
専門家の説にも、観阿弥が能の中に曲舞を採り入れた部分の形態は「次第→一声→笛の舞→クリ→サシ→クセマイ(語り舞)→ワカ→数え舞(乱拍子)→ワカ→笛の舞」と言われるが、鐘巻の道成寺縁起の部分(次第→クリ→サシ→クセ)は、この形態を一部を省略した形になっている。 故に、クセで道成寺縁起を語り舞した後に、普通の乱拍子が軽い調子で短く舞われていたのではないか、という考察が見える(☆☆)。
そう考えれてみれば、後に「鐘巻」を「道成寺」へと改作する際、前場のセリフや謡を大幅に削って、あの乱拍子を組み入れたことにも筋道が見えてくる。 もしそうした前提がなければ、ストーリーの流れを壊してまで、あれほど特殊な乱拍子を挿入する改作は、あまりに唐突ではないだろうか。
☆沖本幸子『乱舞の中世 白拍子・乱拍子・猿楽』吉川弘文館、2016年。
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