23.大人の遠足

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・災害時の視覚障害者は・・・

私たちは2011年に311東日本大震災・福島第一原発事故に遭遇し、過酷な事態と直面した。

それは目に見えない恐怖からへの逃げて、逃げて、逃げるだけの日々だった。

 

ガソリンがなく車が動かせない、食べ物がない、飲み水がない、寒い、衣類がない、薬がない、ミルクがない…などであるがそれでも私たちは話せるし、伝えられるし、目で確認も出来る。

そんな当たり前の人間であっても過酷だったのに、話せない、聞こえない、見えない、という人々がいることを忘れてしまっていることに気付いた。

 

災害は、原発事故は、どんな人々にも分け隔てなく襲ってくる。否、襲ってきた。

通常の生活でもハンディを有している人々へ、災害時の現状と対応は何が必要で、何をしなければならないのであろうか。

もし自分が、全く目が見えないとすると災害時はどうなってしまうのだろうか…。

 

親しくさせて頂いている眼科の先生と副院長の話を聴いた。

福島第一原子力発電所の爆発により、いわきから東京へ避難したが数日でいわき市へ戻ったという。

目の不自由な患者さんたちのことが心配で居ても立ってもいられなかったという。

 

戻ってすぐに患者さんの安否を確認し、行き場のない方々にクリニックを開放し、入浴と寝泊りをさせ、連日避難所へ通ったという。

知故を通じての大量の支援物資がクリニック宛届き、分類仕分けを行い患者さんや近隣の住民、避難所への配布が続いた。

目の不自由な方々を助けたい一心のその行動は簡単にできることではない。

何しろ連日大きな余震に襲われ、放射性物質が降り注ぎ、町に人々はおらず、店には食料や生活物資もないのだ。

誰もが自分の身の安全、命を守ることにやっとで、他者への余裕など全くない中でのことだ。

 

身体の不自由な方々を災害時等にどのように守るかは、国民的課題であろう。

そしてそれはそのような方々のためだけではなく、実は自身や年老いた親、幼い子供たちなど弱者と呼ばれる人々を守ることにもつながり、最終的には自分を守ることにもなるのである。

 

そのような議論、取り組みは果たしてどれほど進んでいるであろうか。

震災時のことなどもうとっくに忘れているように見えるのは私だけであろうか・・・。

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・「大人の遠足」いざ出発!

2017年11月12日視覚障害者サポートグループ「ゆかり(縁)」による「大人の遠足」が行われ、国会議事堂貨幣博物館 築地ランチ 日本橋散策を楽しんだ。

ゆかりは、孤立しがちな視覚障害者の方々に外出の機会を設け、社会の交流と健常者への実態理解を求めるという活動に取り組んでおり2009年2月に発足した。

 

大人の遠足も丸8年目今回で16回目を迎えた。

外出機会の少ないこともありいわき市を中心に県内各地からの参加者はサポーターも含めた総数49名がバスでいわき市木村眼科クリニック前を出発した。

バスの中では、指ヨガやアロマレクチャー、短編小説朗読などを楽しんだ。

国会議事堂、貨幣博物館を活き活きと歩き、お待ちかねの昼食は築地の天ぷら屋さん「天竹」で天丼に舌鼓を打ち、美味しそうに生ビールを飲み干す人もいた。

昼食後も東京中央区観光協会ボランティアガイドさんの案内で日本橋周辺を歩いて回った。

盲導犬3頭も参加したグループは日本橋でも注目を引き、中には盲導犬に「頑張ってね」と声を掛けたり笑顔で撫でていく人もいた。

参加者は青空の東京に歓声を挙げ、三越でお土産を購入したり、思う存分久し振りの外出を心から満喫していた。

サポーターの藁谷弘子さんは「初めての体験でしたが自分自身も大変勉強になりました」と満足そうに話していた。

ゆかり事務局長の佐藤恵子さんは「外出のままならない視覚障害者の皆さんを何とか社会と交流して欲しくて頑張ってきたがもう16回目を数えた。これからもがんばって行きたい」と述べ理解を求めている。

東日本大震災・福島第一原子力発電所爆発事故災害はまだまだ終わったわけではなく、むしろ災害時に何をなすべきか、災害時を想定して何を準備すべきかを明確に訴えている。

安心だ、安全だ、風評被害だ、帰町だを主に叫び、補助金の獲得に大きな心血を注いでいる福島県知事や首長は今回の歴史的教訓から学ばず、矮小化に力を入れているが、その役割と使命は将来必ず検証されるであろう。

                             (29.12.03筆)

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