そもそも「道成寺」とはどういう話なのか? まずはここからですね。
能「道成寺」のもととなる道成寺説話の成立は古く、『大日本国法華経験記』(11世紀半ば)や『今昔物語』などに記されています。
そして室町時代の応永年間―ちょうど世阿弥が活躍していた時期です―には、「道成寺縁起」として絵巻に仕立てられ、恐らくは遊行聖たちが手に手に携えて、全国各地に広めたのでしょう。
この『道成寺縁起絵巻』で、紙芝居ふうにあらすじを追ってみます。
・起―迫る女に偽りの「約束」
頃は醍醐天皇の御代、延長6(928)年8月、所は紀伊国室の郡の真砂という熊野山に近い地。
奥州から熊野参詣に訪れた美貌の若僧が、一夜の宿を借りた。
その家の若後家がこの若僧に一目惚れ、深夜、僧の寝床に潜り込んで関係を迫る。
びっくりして跳び起きた僧、
「私は宿願あって熊野権現に参るため、自戒精進して遠路はるばるやって来ました。この大願を破るわけにはいきません」
と必死で逃れるが、女は聞き入れず、仕方がないので
「あと2、3日で所願成就しますから、その帰りに寄りましょう」
と偽りの約束をして、何とか女をなだめた。
帰りにはきっと寄りますから。
待っているわ、必ずよ!
・承―逃げた男を追う執念、女は「蛇」となる
4、5日過ぎても僧は戻らない。
焦れた女は道に出て、参詣帰りの人に尋ねると、その若僧ならすでに熊野を過ぎて行ったと言う。
「さては、私をだましたのね」、怒りに燃えた女は鳥が飛び立つように駆け出して、僧を追う。
あな口惜し、とっ捕まえずにおくものか。ええい、草履が脱げたって構うものか!
おお、いたぞ、いたぞ。
御僧よ、待て~!
わわっ、人違いです。助けて~!
僧は命からがら逃げ来って、日高川にさしかかる。
折からの洪水で滔々たる水かさ、渡し舟で向こう岸に渡った僧は、舟守に事情を話し、女を乗せないように頼む。
女は舟に乗せてもらえず、思い余ってザンブと飛び込み、大蛇となって川を渡る。
ええい、舟が出ぬなら、泳いで渡るわ!
待て待て~!
・転―「鐘」のなかに隠れた男、女は火を吐いて焼き殺す
日高川を渡って、道成寺へ駆け込んだ僧は、寺僧たちに助けを求める。
話を聞いた僧たちは、大鐘を下ろしてその中に若僧をかくまい、鐘ごと御堂の内に隠した。
鐘の中へかくまえ!
その鐘を御堂の中へ隠せよ!
追って来た大蛇は、僧を探して境内を這い回る。
とうとう御堂の戸を尾で叩き壊して中に入り、鐘に巻き付いて尾で叩く。
鐘は火焰に包まれて燃え上がり、熱くて誰も近づけない。
あああ、憎し、愛し、どうしてくれよう!
やがて大蛇は、両眼から血の涙を流しつつ、もと来た方へ去る。
僧たちは鐘に水をかけて熱を冷まし、やっとの思いで鐘を除けて見れば、若僧は骸骨ばかりで炭のようになっていた。
見るも無惨。
哀れ、いたわしや。
・結―蛇となった女と若僧、法華経の功徳で成仏する
日を経て、寺の老僧が夢を見た。
女のために共々蛇となった僧が、法華経を書写して供養してくださいと頼む。
私は鐘にかくまってもらった僧です。
悪女のために蛇となり、夫婦にされてしまいました。
(2匹の蛇の表情に注目! どっちがどっちか、すぐわかる)
僧侶たちは、法華経を書写して供養した。するとまた老僧が夢を見る。
今度は天女が2人訪れて「妙法の功徳により2人は成仏した」と告げて去る。
*
女はまことに地獄の使いだけれど、考えてみるとこれも信心を起こさせるための仏の方便だ。
この話をお聞きご覧の方々は必ず熊野権現のお恵みにあずかるべし。
念仏10ぺん、観音名号を33べん唱えなされよ。
*参考文献
小松茂美編『続日本の絵巻24 桑実寺縁起 道成寺縁起』中央公論社。
2.でもって、能「道成寺」の筋はこうなってます に移動
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