6.道成寺と日高川―「鐘」と「川」の系統

・「道成寺縁起」に「川」が加わったのはなぜ?

『大日本法華経験記』や『今昔物語』『元亨釈書』の道成寺話には出てこない「川」。

『道成寺縁起絵巻』に至ってこれが加わり、しかも「女が蛇と化す」という重要な「場」となっています。

もちろん、寺の近くを悠々と流れる日高川の存在感による尾ひれです。

とはいえ、もし3つの仏教説話だけをもとにして、道成寺縁起絵巻を作ったのであれば、わざわざ川渡りの場面を加える必要はないのでは?

「川」の追加は、絵巻の作者が創意を膨らませた……というより、むしろ「川渡りで女が蛇になる」という日高川にちなんだ物語が、すでに広く定着していたことが考えられます。

だから、これを採り入れないではいられなかったと。

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・似た展開でも「川」の系統では……

例えば「日高川草子」という、道成寺縁起の異本と呼ばれる説話があります。

『御伽草子』(室町時代の説話集)に採られているので、「道成寺縁起絵巻」とほぼ同時期に成立したものでしょう。

ここでもやはり、女に追われた僧が鐘の中に隠れます。

が、蛇は鐘を壊して僧を捕らえ、最後は「川」に引きずり込む。

つまり「鐘」は単に経由しただけで、僧の死に場所ではないのです。

この展開で行くと、後日「鐘」が再興されても、女が執着して現れることはなさそうです。

 

そもそもこの「日高川草子」、「道成寺縁起の異本」と呼ばれながら、話のなかに道成寺という寺の名が出てきません。

ただ単に「古い寺」とあるだけ。「鐘」も壊されておしまいだし、あくまで「川」が舞台であって、寺の方にはあまり比重が置かれていない。

まあ「日高川草子」たるゆえんですね。

 

・能「道成寺」は「鐘」の系統

その点「道成寺縁起絵巻」の方は、「川渡り」を追加しても、僧が「鐘」の中で取り殺される顛末は変わらないし、血の涙を流して僧を取り殺した蛇は、法華験記と同様に「もとの方へ帰りぬ」という結末で、最後に「川」は出て来ない。

あくまで「鐘」で終わるからこそ、その後日譚を筋とする、能「道成寺」が生きてくるわけです。

蛇足ですが、江戸初期の謡本に「日高川」という曲がありまして、これにいたっては「僧を追いかけた女が、日高川で蛇体になって僧を取り殺した」という話になっていて完全に「川」のみ。

もはや「鐘」も「寺」も出てこないのであります。

 

*参考文献
「日高川」(佐佐木信綱編『新謡曲百番』所収)。

 

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