12.「道成寺建立の縁起」―そこにも1人の女の存在が……
・道成寺建立の縁起って?鐘供養に現れた白拍子の女は、まんまと女人禁制の境内に入ると、舞いながら道成寺建立の縁起を謡う。 前回ふれたように、能「道成寺」では乱拍子に主眼が置かれ、縁起語りは超省略形になっているけど、それでも「道成の卿うけたまわり、始めて伽藍。 たちばなの、道成興行の寺なればとて、道成寺とは名づけたりや」と謡うのを聞けば、橘道成が建立した寺だから「道成寺」だってことは、取り敢えずわかる。 実際、道成寺は大宝元(701)年、文武天皇の勅願を受けて、紀伊国司の紀道成(きのみちなり)によって建立された。 ただ気の毒なことに、当の道成は建立のさなか、木材の調達を指揮していて筏の事故で命を落としている。 恐らくこの道成寺という命名は、道成の霊を慰めてのことだろう。
・道成寺に関わる「宮子姫伝説」これで道成寺の名の由来はわかったが、「道成寺建立の縁起」の本題はこのことではなく、むしろ文武天皇がこの寺の建立を勅願した経緯にあり、そこには「宮子姫髪長譚」という伝説が関わっている。伝説のあらましはこうだ。 昔、道成寺の辺りは海の迫る入り江で、そこに住む海女の1人が生んだ娘(宮子姫)は、成長しても髪が生えなかった。 ある日、その海女は海の底から砂金で作られた観音像を拾い上げ、庵を立ててこれを祭り、娘のことを祈ると娘に髪が生えてきた。 娘の髪はどんどん伸びて、人並み以上に長く美しくなり、その噂が都に伝わって、ついには文武天皇の后となり、聖武天皇を生んだという。 それで文武天皇は后のため、道成寺建立の勅願を出したってわけ。 「道成寺」の謡では、この部分がスッパリ省略されているが、「鐘巻」では、白拍子の舞いとともにこの伝説もしっかり謡われる。 ・「道成寺」にからむ2人の女道成寺って寺はよくよく女性と縁が深いようで、道成寺縁起の主人公は恋の執心から蛇と化した女だけど、道成寺建立の縁起をひもとけば、ここにもまた宮子姫というもう1人の女性が現れる。 宮子姫の方は、貧しい海女の娘に生まれながら、観音の御利益で天皇の后という玉の輿に乗る、言わば上昇機運の女性。 一方、能「道成寺」の女は、庄司の娘という恵まれた環境に育ちながら、僧への執心から蛇体と化すわけで、まあ下降転落した女と言える。 だから「鐘巻」には、この上昇と下降と、相反する運命を生きた2人の女性を対照させる狙いがあった……という解釈もある(★)。 が、さてどんなものだろう。 図式としては「なるほど」だけど、能作者の意図としては単に寺の縁起譚を扱ったまでで、それほど深い意味はなかったような気もする。 だからこそ「道成寺」では、スパッと省略できちゃったのでは? それにこの宮子姫、玉の輿ってのは幸せばかりではなく、出自の賤しさゆえの差別もあり、苦悩も深かったと伝えられる。 だから道成寺に絡んで、蛇体の女とは対照的な運命を生きながら、やはり悩みを抱えたもう1人の女が存在した……と。 そのことを知ってみると、能「道成寺」の味わいがまた深まるような気がする。
*参考文献
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