15.「鐘巻」「道成寺」は、なぜ後日譚?

・ところで、なぜ後日譚なのか?

「鐘巻」と「道成寺」は乱拍子の有無など、演出にはかなり違いがあるが、ストーリー展開としてはほぼ重なる。

いずれも安珍清姫伝説の後日譚で、くだんの女が因縁の鐘に執着して現れる。

ところでこの話、なんだって後日譚なのだろう。

 

道成寺所蔵の古文書には、宮子姫髪長譚を含む道成寺建立の縁起や、蛇体になった女が僧を焼き殺した道成寺縁起絵巻、それからこの後日譚も伝わっていると聞く。

が、後日譚については恐らく能の成立のほうが先だろう。

 

つまりこの後日譚は、能のために作られた話ってことになる。

能はなぜ、後日譚という仕掛けを必要としたのだろうか。

 

・「道成寺縁起」で能の展開を考えてみると……

能の展開には「複式夢幻能」と呼ばれる、過去の人物の幽霊がワキの夢枕に立って語るというパターンが多いのだ。

もし「道成寺縁起」を単純にそのパターンにあてはめると、ワキの夢枕にくだんの女の幽霊が立って、逃げた僧を焼き殺したいきさつを語るってことになり、せいぜい後場に蛇体の姿で出てきて、鐘の周りで舞いや働きをするという展開だろう。

 

ならば過去の幽霊なんてまだるこしい仕掛けにせず、現在進行の形で「道成寺縁起」のストーリー通りに展開したらどうなるか。

この場合もシテはやっぱり女だろう。前場は女の誘惑から僧が逃げ出すまでを演じ、後場は道成寺を舞台に、蛇体と化した女が鐘に隠れた男を焼き殺す……と。

 

しかしどうやっても「道成寺縁起」の筋では、鐘に入るのは僧侶であって、女が鐘入りをする展開にはならないのだ。

うーん、僧侶の鐘入り……どうにも絵にならないって気がするんだけど、いかが?

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・やっぱり女が鐘入りしなくちゃ!?

そう考えるとこの後日譚、女が鐘入りをしたうえ、中で蛇体に変身して出てきて、それから寺僧たちと対決するって展開は、実にうまくできている。

やっぱり鐘入りをするのは女でなけりゃ面白くない……と思ってしまうのは、あるいは現行の能「道成寺」を見つけているためだろうか。

 

例えば、歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」の場合、能に倣って後日譚にはなってるけど、主役の女は鐘入りしない。

舞を見せると言って境内に入ると、そこで様々な舞い姿を見せるのが舞台の眼目で、最後に鐘が落ちても女は入らず、鐘の上に登って幕となる。

 

考えてみれば能の場合だって、こういう展開も成り立つわけで、女が鐘入りするって発想は果たして「道成寺」の独創なのか? 案外、先行する「女の鐘入り」が存在したのでは……? って、実はその可能性も大いにあるのだ。

というのは「道成寺」の原曲とされる「鐘巻」には、「道成寺縁起」とは全然別のストーリーで成り立つ山伏神楽バージョンが存在しているのだから。

 

いやはや、この「道成寺」って能はホント、芋づる式にズルズルと、あの説話、この縁起、その芸能だ、何だって、掘ればいくらでも出てくる感じで、そうしたいくつもの要素を飲み込んで、消化し尽くしてできた舞台なんだと、改めて思う。

次回はこの山伏神楽バージョンの「鐘巻」を見てみることにしよう。

 

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